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第8話
本当は、日没後のゲームセンターに満は少し怯えていた。
蛍輔を探して迷い込んだときと客層は同じだ、そこに仕事帰りのサラリーマンが加わるだけ。
しかし雰囲気はがらりと変わる。クレーンゲーム機に興じる学生たちはさらに制服を着崩し髪も染め、チャラチャラと派手な印象となっていた。
欲しい景品があるわけでもないのだろう、クレーンゲーム機越しに暇つぶしになるものはないか、まるで他の客を品定めしているようにも感じられた。
満はいつも足早に奥の薄暗いアーケードコーナーに向かう。
この時間であろうとアーケードコーナーのプレイヤー数に大きな変化はない。ある意味では安心できた。
サラリーマンの姿が増えても、みんなやることは同じだ。誰かの良いプレイを見学するか一人の世界に打ち込むか。
蛍輔にはこの夜の時間の空気が合っている気がした。
空気の循環などないような気だるげで薄暗い箱の中、一人の世界に没頭する大人たちに並ぶのだ。
まだ俺と同じ子どもなのに。
不意に、満の中で言葉にできない感情が広がった。
寂しさとも苛立ちとも違う、心と頭の中に霞が広がりもやもやとした何かが満を足止めしているようだった。決していい気分ではない。
そうして蛍輔が、ずっと遠くの人のように思えるのだ。ついさっきまで年相応に笑っていた彼が。
「蛍輔はなんで大会に出たいんだろ……」
一人を好む蛍輔がアーケードゲームの大会に出場したいと強く願う。
自身の実力はweb上の全国ランキングで把握しているはずだ。わざわざ人前に出る意味は何か、実践でしか味わえない空気があるのだろうか。
どうして大人の世界に混ざりたがるんだろう。満にはちっとも理解できなかった。
ふと思い出すのは、大手企業の重鎮たちが集まる社交の場につれていかれた数年前の自分だ。挨拶ぐらいしかできず、姉の円と違って気の利いたことなど何一つ言えなかった当時の自分を重ねてしまう。
浮き彫りになる幼さ、未熟な現実、大人たちの生あたたかな視線。満は羞恥心に駆られてしまう。子どもは大人の世界に近づくものじゃない。
蛍輔は、あの身長や物憂げな雰囲気、目元を隠す髪のおかげで私服であれば大人に混ざっていても子どもと気付かれるのも遅いだろう。
あぁだからか、と満は一人納得する。
あの見た目ならそりゃこの時間帯の方が似合うよ。逆に早朝の朝日の下にいる蛍輔はかなり不自然だ。吸血鬼のように死んでしまう可能性すらある。
「まぁ大会は、高校生の部とかだろうけどさ。部活の全国大会みたいなものだよな」
父親に反抗してまで出場したいものなのだろうか。
蛍輔の父親である永墓氏はなんと言って出場に反対したのだろう。父親の転勤続きの影響で各地を転々とし夜遅くまでゲームセンターに通う蛍輔と、永墓氏はどのような親子関係を築いているというのか。
満は今日にいたるまで、最上家と永墓家には借金返済の恩が横たわっていることしか結局理解できていなかった。
借金返済の肩代わりの恩を母・香純が利用し家庭教師を依頼、永墓氏が蛍輔にその要求を押し付けたと蛍輔は言っていた。これはほとんど事実だ。ほとんど、と前置きしているのは、父・紘一曰く大人が子どもに抱く『下心』が混ざっており、その意味が満はまったく分からないからだ。
「それに母さんは正直言って、永墓家の事情にそこまで興味ないんだよなぁ」
大会出場を条件に出すほど、永墓氏にとっては家庭教師の依頼は重要度が高かったのか。香純の対場が社長令嬢であり、次期社長夫人であるから機嫌取りが大変かもしれないが。
今日の蛍輔は奥の壁際にある筐体を使用していた。
壁や観葉植物を背にしている。彼の姿を見るには彼に接近するか、ずらりと並ぶ筐体レーンの影からその横顔を見守るしかない。
普段であれば彼を囲む他の客たちがいるので、隠れながら遠目に見るのも難しかっただろう。しかし時間が少し早すぎたのか蛍輔周辺に人影はない。満は筐体の影から十分に蛍輔の姿を盗み見ることができた。
けれど満はちらっと蛍輔の姿を確認しただけですぐに引っ込んでしまった。
「う、うわぁ……」
自分でも分からないが情けない声が零れる。
また心臓がどきどきする。前髪をかき上げて留めて顔面を晒している蛍輔をまともに見ることが出来なかった。
さっきはもっと密着して、抱きしめてもらったのに……。
カッと熱が身体中を駆け巡る。この熱は寒暖差から来る火照りではない、けれど名前をつけられない。理由は分からないが、怖いのだ。
満はこれ以上蛍輔を視界に入れない様に両手で顔を覆った。
「か、帰ろう……」
自分の中で何が起きているのか分からない。ずっとこのままなら不整脈でもしかしたらもうゲームセンターには来られないかもしれない。想像するだけで寂しいがなぜか満はホッとした。
蛍輔がいるレーンから離れようとしたときだった。
「あれ、久しぶりじゃん」
見知らぬ男が目の前に現れた。
満は彼が何者か分からなかった。大学生ほどにも見える私服姿の男がやけに馴れ馴れしい笑みを浮かべている。
無遠慮な視線はまるで服で隠した裸を覗かれているようでゾッとした。満は無意識に一歩後退する。
気を悪くしたのか男は細い眉を吊り上げる。
「は? 覚えてねぇ? 俺あのオタクの姿見る度に君を探してたんだけど」
「えと、あの……あっ!?」
男は満の手首を掴み、無理矢理にアーケードコーナーから引き離していく。
思い出した。
蛍輔を追って初めてここに来た時に声をかけ、ナンパしてきた男だった。
「は、離し……っ」
満は身体をゆすり大声を上げようとした。男は掴んでいた腕を離し今度は満の肩に手を回す。蛍輔が抱いた肩を。引き寄せられ当然のように満は男に寄り添って歩くしかない。
「静かにしろよ。あのオタクが来てもいいのか?」
「え?」
「暴力沙汰なんてさぁ、出禁くらって大会出られなくなるけど? あのオタク」
『闘綴杯ワンスト部門』、蛍輔は大会に出るために今まで頑張って、我慢して。
「予選も順調に勝ち進んでるみたいじゃん。おい、どうする?」
半泣きになりながら満は開いた口を震わせ、最後にはきゅっと閉じるしかなかった。
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