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満が自室のベッドで横になる頃にはもう午後十一時となろうとしていた。
八畳ある満の部屋はベッドの他に、小学生の頃から使っている学習机、そして壁伝いには本棚を三つ並べていた。コミックもあるが小説本の方が数量は圧倒的に多い。しかし最近では参考書ばかりが増えていく。なんなら小説には埃がかぶりつつあった。
明日の授業の予習を全て塾で済ませてきてよかった。
ベッドサイドに置いてあるハードカバーの小説を手に取り目を通すが、五分もしない内に満はまた栞を挟んだ。楽しみにしていたはずなのに、とてもじゃないが読書を楽しめる気分ではない。いつからこの本の歩みは止まってしまった? 思い出せない。
高校受験が終われば、高校に入学すれば読書の時間を取り戻せると思ったのだが、最近ではこんな日が続いていた。
仕方のないことだ。母の言う通り、本当に成績が落ちていっている。どの教科も正解の数は少なくはないはずなのに思うような順位がとれずにいた。
母さんを説得できるほどの学力がない俺も悪いんだよ。
電気を消して布団を被る。頭は家庭教師のことでいっぱいだった。
社長令孫である満を社の人間の息子が面倒を見るのだ。息子の評価は親の社での評価にも影響してしまう恐れがある。事実、母がサイジョウ食品の人事評価に口出ししている姿を満は幼い頃から見ていた。
俺次第で永墓さんがどうにかなってしまうのか……?
ふと過った不安にぞわりと身体が震える。もし永墓氏の息子の健闘虚しく満が順位を上げられなかったら、もし母に永墓氏の息子について悪い印象を持たせるようなことを言ってしまったら。
まだ学生の満では責任がとれない事態になってしまったら満のやわらかな心は潰されてしまう。悪い想像だけがむくむくと膨らんでいった。
俺はただ、少しでもいいから自分の時間を取り戻したいだけなのに。
自分の背丈よりもずっと高い書架、色とりどりに並ぶ背表紙。大きな蝉の声と埃と古い紙の匂いに包まれながら、舐めるように舐めるようにじっくりと文字を追いページをめくったあの夏。祖父の家にある書庫の思い出がふっと満の頭の中に蘇る。けれどもその光景はぼやけていった。
代わりに色濃く表れたのは幼少期に連れてこられたサイジョウ食品の懇親会の思い出。嬉しそうに満や姉を抱き上げてくれる祖父、遠巻きに眺めている子どもたち――…。
ねぇ母さん、家庭教師なんていらないよ。会社の関係者が先生だなんてもっと嫌だ。守りたいのは、自分の時間が奪われることだけじゃない。
ふと満はひらめいた。
永墓さんの息子と忖度のない友だちになったらいいんじゃないか?
勉強も楽しいだろうし、時短にしてもらって読書の時間も作れるんじゃないか?
「…………いやいや、何言ってんだ」
突拍子のない発想に自嘲する。忖度のない付き合いとか無理だろ絶対。
満は慌てて忘れようとした。でも、本当に友だちになれたら……小さな願いがずっと掌の中にある。
お人形さんみたいな少年、永墓蛍輔。
満は想像した。お人形みたいだと言われていた彼はきっと見目麗しく育っているだろう。墓という文字から連想されるダークな雰囲気を纏いながらも、満が暗闇に飲み込まれない様にぽっと小さくけれども決して見逃しはしない光を放つ心やさしい少年。頭の良い彼は満をどこに導いてくれるのか。友だちになったことは母さんには秘密だ。表向きはあくまで社長令孫と部下の子どもで……。
小さな願いと共に、満は眠りの奥深くへと沈んでいった。
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