第2話

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第2話

 火曜日が訪れた。  満の通っている私立(あけぼの)学園高等学校は進学校ということのみならず、学内設備やカリキュラムが整っていることから学費やその他寄付が高額であることも有名である。そのため、自然と大企業や一流商社の子どもや社長令嬢に令息が集まる傾向にある。  満もその一人だ。サイジョウ食品株式会社の社長令孫である。曾祖父が創始者であり、祖父が全国展開を果たし会社を大きくした。  サイジョウ食品は主にフリーズドライ製品や即席麺といった加工食品を主流に製作・販売をしている。全国に工場を設けているが、東京本社の従業員数規模としては中小企業だ。  婿養子である満の父が次期社長であるが祖父はまだまだ現役。一人娘の香純に祖父からいくらかの援助はあるが実家を離れ家庭に入っていることもあり、満は他のクラスメイトのような通学に車や護衛が必要なほどの大金持ちではない。  製品はどのスーパーに行っても必ず置かれており知名度は業界内でも高い。雑炊に玄米にパスタなど乾燥できる食品は多種多様に取り扱っているのだが、最も有名なのが味噌汁のフリーズドライである。  元より定番商品ではあったが、満が四歳のときに出演したCMがお茶の間で話題になり知名度が爆発的に上がった。  高く貢献できたことを満は今でも誇りに思っている。親世代は確実に満が出演したあのCMを覚えているのだが、曙高に通っている子世代には伝わっていないようで今のところ平穏な学校生活をおくれている。 「家庭教師増やす? へー、窟波の生徒に教えてもらうんだ。なんだよ水臭いな、分からないところがあったら俺も教えるのに」  なんとなしに家庭教師の件を話すと、クラスメイトの藤沢はからかうように目を細めて笑った。  藤沢は曙高に入学してから知り合った和菓子屋の長男である。  目にかかりそうな癖のない黒髪をセンターで分け、理知的な瞳を眼鏡の奥に潜ませクールな見た目に反して愛嬌がよく喋りやすい少年だ。  毎日つるむような友だちは満にはいないのだが、休み時間や放課後にときどき軽く話す間柄ではあった。今日は珍しく満がさっさと帰らなかったのを気にしてくれたそうだ。  一学期を共に過ごしてみたクラスメイトたちの印象はとにかく真面目。友だちを作りに来ているのではなく、誰もが勉強に集中していると満は見ていた。休み時間に会話を楽しむと言っても、ついさっきまで受けていた授業の話が中心となる。  満もその方が勉強に集中できてありがたかった。友情を培わないとは言えど、人間関係に対してはよほどのことをしない限りみな平等に親切で協力的だった。  靴箱で革靴に履き替えながら満は藤沢に勉強を教えてもらう可能性を考えるがどうにもつり合わない。  前回の期末テストでは七十二位だった満に対し、藤沢は三十位と中々の上位だった。教えてもらうばかりでは申し訳ないのでこちらも何かを手助けをしたいのだが、藤沢の分からない部分はきっと満にも難しいものとなるだろう。 「いや、それで藤沢の順位が落ちて俺が上位に入っても嬉しくない。俺は俺のやり方で頑張るよ」 「えー、窟波の生徒に教えてもらうのも同じことだろ」 「……じゃっ、じゃあ俺が彼に、将来的に会社に入れる約束をすれば……?」 「深刻じゃん」  満は家庭教師が自社の人間の息子であることは伝えなかった。伝えられるはずがない、見方によっては社外圧力と捉えられるのだ。  昨夜は友だちになれたらいいのになどと小さな願いを持ってしまったが、向こうからしてみれば家庭教師の話自体も迷惑なのではという可能性もある。 「しまった、どこで待ち合わせか聞くの忘れて……なんだ?」  正門に近づくにつれ奇妙な雰囲気を漂ってくる。  生徒たちは何も言わないが、正門を通り過ぎるたびにちらりと何かを一瞥し空気をざわつかせていた。門柱の脇に常駐している警備員が反応を示さないので不審者ではないようだ。  満たちは開かれた正門を通り過ぎながら、他の生徒たちと同じようにちらりと視線を投げかける。  曙高の看板を掲げる石造りの門柱の前で彼の横顔をとらえる。  蠟人形がブレザーの学生服を着て立っていた。  不気味だった。  ホラー映画に出てくる蠟人形を思わせるやせっぽっちで血の気のない青白い肌。そのくせ背は一人飛びぬけて高く、これでもかというくらいに丸めている。彫りの深い顔立ちで鼻は高く唇は薄く無感情、黒髪は無造作にあちこちに跳ねていた。  人間としての造形があまりにも陰鬱で、『静』の気しか感じられず異質であった。  背中の後ろでリュックサックを背負いきちんとネクタイを締め、ズボンの腰の位置だって正常なのが余計に異質さを際立たせている。  彼は周囲の様子など気にせず手元の携帯ゲーム機に注視していた。よく見れば長い骨ばった指を熱心に動かしている。濃紺のブレザーを着ていなければ不審者として警備員に職務質問されていたことだろう。  一見して不気味だが、よくよく見ると決して卑屈には感じられなかった。これだけ負の印象を持ちながら不思議と堂々として見える。だから人々は引き寄せられるのだ。まじまじと見つめるのは失礼なので、結果的にちらちら目をやり通り過ぎるしかなかったのだ。  満は立ち止まってしまった。  まじまじと見つめてしまった。この空間にいる誰をも寄せ付けない、なのに惹きつけられる彼を。  なんだこいつ、なんでこんなに格好良いんだ。  瞬間的によぎったものに満はハッと驚いた。何考えてるんだ俺は、こんな怪しいやつ!  ふいに彼は携帯ゲーム機から顔を上げた。ゲーム機を背負っていたリュックサックに慣れた手つきで見もせずに仕舞う。  瞼の重たい胡乱の瞳が満の姿を捉える。  魅入られてしまった。たったの数秒を永遠のように二人は見つめ合った。  ずっと近くにいた藤沢は小さく満の制服の袖をひっぱった。 「なぁ、もしかすると例の家庭教師じゃないか?」 「え!? この人が!?」  彼が永墓蛍輔。さよなら美しい西洋人形さんみたいな少年。 「え、最上くんの知り合い……?」 「っ!」  気付けば衆人環視に晒されていた。満は「う」だとか「ぉあっ」など言葉にもならない小さな声をあげる。それしか出来なかった。人前に出ることは慣れているが、思わぬ注目を浴びることは苦手だった。顔も真っ赤にして狼狽えた。  彼が長い足でずんずんと近づいてくる。満は咄嗟に、 「な、永墓くん……?」  呼んだ瞬間、彼は目の前の全てが気に入らないかのように大きな舌打ちをした。  ぬっと伸びてきた手は満の腕を力強く掴む。「おわっ!?」そのまま満は強い力で引きずられ衆人環視の輪から連れ去られていった。  取り残された生徒たちはざわついた。 「あれ最上くんだろ?」「え、誘拐じゃない?」と口々に言葉にしたし、いつも堂々としている最上がえらいこっちゃ、と藤沢は呆然としていた。
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