第4話

1/3
前へ
/32ページ
次へ

第4話

 翌日、クラスメイトたちからの正門前の蠟人形な彼に関する囲み取材はなかった。  強いて言えば藤沢が心配したらしく声をかけてくれた。彼との会話に耳を澄ませていたクラスメイトたちはほっと胸を撫でおろしていた。  木曜日の放課後。分かってはいたが蛍輔は満の高校の正門前には来ていなかった。  香純からは家庭教師は中止だと言われておらず、むしろ今朝も蛍輔くんによろしくねと上機嫌で送り出されたぐらいだ。どうやら蛍輔の方でも、永墓氏には家庭教師を辞めたいとは言っていない様子である。  なぜ? 父親がどうなろうとかまわないと言っていたわりにはおとなしいものだ。  どうしたものか、このままでは嘘を吐き続けることになる。家庭教師二回目で辞退を表明するには上手い言葉が思いつかず、かと言って自主学習で補えるとは思わなかった。何より、嘘や隠し事を行う度に満の心は重たくなっていく。  下校していく生徒たちの邪魔にならないよう正門の端で考えていると、不意に満は声をかけられた。正門端に常駐している警備員だ。 「あぁ君、お友だちならさっきまでここにいたよ」 「え? と、友だち? 俺に…友だち……?」 「窟波のブレザーだと思うんだけど。ほら、一昨日もここで授業終わる前から待ってた、ちょっと暗そうな男の子」  間違いなく蛍輔だ。どきりと胸が高鳴った。 「今日も人を待つんでってさっきまでここにいたんだけど、やっぱり帰りますって言って帰っちゃったんだよ」 「あ、ありがとうございます! ……行ってきます!」  気づけば満は駆けだしていた。  窟波高は曙高の最寄り駅から電車で十五分。学校は違えど下校時間は似たようなものだ。  ……じゃあ一昨日の永墓くんはどうやって俺を待ち伏せしたんだ?  走りながらそんな疑問が過る。まさか六時間目の授業をサボってまで満を正門でつかまえようとしていたのだろうか。  ……真面目じゃないか。あの態度からは想像できないほどに責任感が強い。  あの日だってカラオケ店を選んだのも、蛍輔なりの配慮だったのだろうと満は推測した。押し付けられた家庭教師の仕事、家に招くことも招かれるのも嫌だと考え二人きりで落ち着ける場所を考えてくれた。  思っているより良い人なのかもしれない。  彼の態度はほとんど八つ当たりに近かったが、彼が怒る理由について満は納得していた。  もう友だちになれる可能性は微塵もないが、嫌われたまま終わってしまうのはあまりにも寂しかった。  満が電車で向かったのは渋谷駅だ。  あのカラオケ店で蛍輔は慣れた様子で受付を済ませていた。となると彼はこの辺りで遊んでいる可能性が高い。友だちも作らず、夜も一人で出かけているのならばなおさら明かりの消えない都心を選ぶだろう。  ……とは言うものの、放課後はこれだけの生徒が遊んでいるのか。  にぎやかさを添えているのは私服で遊びに来ている者たちだけではない、数多くの学生たちが我が物顔で楽し気に闊歩している。学校の外は自由だ、好きに制服を着崩しメイクをし店舗から店舗へと移動する。  満が通っている進学塾もこの通りにある。見慣れた光景のはずなのに、別世界に取り残された気分に陥る。  ……この中に飛び込むのか。俺が? 思わず肩にかけた学生鞄の持ち手を両手で握る。いつも下ばかり向いて勉強で頭をいっぱいにしていた。たまに繁華街に入っても向かうのは大型書店ぐらいだ。  このまま眺めていても埒が明かない。  満は小さく深呼吸をし、ようやくざわめきの中に飛び込んでいった。  コンクリート地面ばかりを見て歩いてはいけない、学生たちの波の向こう側にはクレープやフルーツジュースのテイクアウト専門店、ファーストフードにレンタルショップ。顔を上げると今まで見ていなかった景色に名前と鮮やかな色がついていく。  蛍輔を探さないといけないのに次々と目移りしていった。  店の前で立ち止まる学生たちのゆるく着崩した制服や楽し気な表情から次第に視線が上がり、満はようやくたくさんの商業ビルが空に向かって伸びていることに気がついた。秋らしい霞がかった高い空を飾るように、デザイン性にとんだ巨大看板が掲げられている。  そうか、俺は小説によく出てくる『都会の繁華街』の中にいつもいたんだな。  日々渋谷を利用しているのだから当たり前のはずなのに、満は軽く下を向いて小さく笑った。  塾がなければみんなとおんなじになれるのに。ふと過った考えに満は慌てて頭をふった。何を考えてるんだ俺は。世襲で社長になるといっても高学歴でなければ箔がつかず、経営に携わることもできない。  蛍輔はこんなにも心躍る世界に通いながらも、窟波高生にふさわしい学力を持っているのか。そう思うと頭が上がらないし、そんな彼が怒りをぶつけるほどに犠牲になったことが何なのか興味が湧いてしまう。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加