動く

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 「この子ですよ。水浜一香」  禿頭を鈍く光らせた初老の男性が、眼鏡を持ち上げて目を(しばた)かせた。  雪彦たちが中学3年生の頃に担任をしていたという。  事件の3年前だ。  「顔が見えませんね」  縁側に腰掛けて、凛は色褪せた学級写真を覗き込む。  端の方に写っている水浜一香という少女は、顔の大部分に髪がかかっていた。  男性は声を落とす。  「ああ。顔の痣を隠して……」  また、痣か。  「いじめがあったと聞きましたが?」  凛の問いに、一昨年教職を退いたという男性は苦い顔をした。  「記者さん、そりゃ無理やってぇ」  「五百扇の(もん)には何も言えんよ」  ここへ案内してくれた中年の女性と老人が口々に言う。  老人は遠い目をして緑茶を啜った。  「五百扇雪彦が、いじめを主導していたということですか」  答えは返ってこない。  泰造亡き後も、ここまで口を噤む。  それだけ五百扇家の威光が強かったということか。  だぶついたズボンに(かかと)を履き潰したスニーカーで、斜に構えるように写真に収まる雪彦。  父・五百扇泰造との確執は、この頃もあったのだろうか。  1学年1クラスという山間の小さな学校で。  よく言えば絆が深く、悪く言えば逃げようのない狭い世界で、1人の少女が壮絶ないじめを受けていた。    水浜一香は、未来をも恨むような眼差しで写真の外にいる凛を睥睨(へいげい)してくる。  写真を借り、凛はその家を辞した。  紅葉に色づいた山が迫り、冷たい風が降りてくる。  雪彦も影彦も、5年前までこの景色を眺めていたのだろうか。  そして生まれ育った田舎町に背を向けた時、一香という少女は何を思っていたのか。
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