動く

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 前方に見知ったフォルムを見つけた。  「綿貫さん!」  凛が声をかけると、熊のような男が顔を上げる。  「よぉ、女記者。今回は出遅れたか」  定規で引いたように太く真っ直ぐな眉の下で優しげに目元を綻ばせる男は、岐阜県警捜査一課のベテラン刑事である。  学生時代、相撲で鍛えたという体躯は堂々たるもの。  取材を通して、凛とは顔見知りだ。  今日ここにいるのは事後処理のためだという。  「遺体は五百扇影彦なんですか?」  「鑑定中だ」  綿貫は慎重に答えた。  バナナのような指の間から、ハガキ大の紙が覗いている。  「遺留品ですか?」  凛は、ヒョイと綿貫の手元を覗き込んだ。  「捜査資料だ! 油断のならん奴め」  綿貫は、それを慌ててコートの懐に収める。  凛は、チラリと見えた資料をしっかりと記憶に刻んだ。  遺留品を写した写真。スニーカーだった。  遺体が身につけていたのだろう。恐らく、影彦が。  5年間も土中にあったことからボロボロだが、どちらが爪先かは辛うじて判断できた。  凛の第六感が何かを叫ぶ。  違和感が、(もや)のように広がっていく。  「なぁ、女記者さんよ」  靄が晴れない内に、綿貫が深刻な声を出した。  「お前さん、そろそろ結婚でもしたらどうだ?」  「セクハラですよ」  凛が顳顬(こめかみ)に血管を浮かせると、綿貫の太い眉が困ったように下がる。  綿貫は、凛のくたびれたパンプスに目を落として言った。  「いや。もう、この事件には首を突っ込まない方がいいってことだ」  それぞれ立場は違えど、同じ事件を追いかける同志に近い存在からの言葉だった。  瞬間的に頭がカァッとなり、凛はすぐに言葉を探せない。  「どうも嫌な感じがするんだ、この事件(ヤマ)はよぉ」  山から再び強く冷たい風が流れてくると、綿貫は眉を寄せた。  木枯らし。もうすぐ、あの事件から丸5年になる。  「何……? 何を言ってるんですか、今更!?」  凛は綿貫に食ってかかった。  「結婚くらい、いくらでもしてやるわよ!  この事件でスクープ取ったらね!」  そのまま(きびす)を返す。  この事件は、雪彦の裏は、自分が暴く。    「あまり深入りするな!」  綿貫が後ろから叫んでいた──。
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