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第五話:靄がかった女の子
「き、きみは……」
この女の子には、膝から下が、ないのだ。いや、正確にいうと、膝から下に靄がかかったようで、見えない。女の子が、ぶつぶつと何かを言っている。僕は眉を寄せつつ、宏太朗の細い肩を抱えた。耳を澄ますと、こんな言葉が聞こえてくる。
「ひどい、ひどい。誰にも言わないでって、あたしは言ったのに……!」
女の子は怒っているらしく、こちらを睨めつけている。無性に嫌な予感がして、宏太朗の肩を抱える僕の手に力が入る。そのときだ――透けている女の子の身体が、宏太朗の腹に飛び込んだのだ。僕は何が起こったのか理解できぬまま、宏太朗の顔を覗き込んだ。
「こ、宏太朗っ?」
宏太朗の唇の端が――普段、彼が無意識に見せる表情のように――妖しく、クイッとあがる。そのまま、宏太朗が笑いだした。クスクス笑って、こう言うのだ。
「もういいわ。これで宏太朗さまの身体はあたしのものだもの」
宏太朗が喋る言葉は、宏太朗のものではない。あの女の子のものだった。宏太朗の中に、女の子の魂が入り込んだと気がついた。普通では、こんなことは信じがたいだろうけれど、この女の子を目の当たりにしていると、信じないでいる方が難しかった――。
「宏太朗、宏太朗!」
僕が肩を揺らそうとすれば、パシッと手を払われてしまった。宏太朗が、いや、宏太朗の身体を乗っ取った女の子が、座っていた椅子からおりて駆け出す。僕は急いであとを追った。
「ふふふ、走るのって素敵。夢みたい。ぜんぶ宏太朗さまのおかげね」
宏太朗の身体は、一階へ降りるための階段の踊り場まで出ている。そこでクルクルと回って踊っていた。まるで、ダンスする絡繰りのように。
「宏太朗を、宏太朗の身体を返してくれっ」
僕が宏太朗の肩を再び掴むと、その身体の動きが止まる。振り返った宏太朗は、僕を睨んでいた。そして、その宏太朗の声で、女の子は言った。
「じゃあ――あなたの脚をくれるのね?」
僕はただ深く頷いた。宏太朗を返してくれるのなら、僕の脚くらい――。
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