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第六話:宏太朗と女の子
貼り紙のしてある古い建物に、宏太朗が入っていく。僕はそれを、ふわふわと浮きながら見ている。これは……僕の意識ではない気がした。
一歩踏み出すと、ギシギシと軋む床板。浮遊する僕は、宏太朗の後ろをついて行く。
小さな灯りが漏れる部屋の前まで来た。宏太朗が、確認もせずに中へ入っていく。窓際に、椅子がある。膝掛けをした女の子の背中に、宏太朗が歩み寄っている。
「いつもここの窓から僕を見ているのって、きみかい?」
宏太朗が声をかけると、女の子が振り向いた。
「あなた、ここへ入ってきたの?」
怪訝そうな表情の女の子に、宏太朗は悪戯っぽく笑う。
「ああ、うん。一階は人がいなかったからねぇ」
女の子が、ぷいっとよそを向いた。
「あたし、あなたなんか見ていないわ」
「おかしいな。僕はそう思っていたんだけど。数回、目が合った気がしたんだけどねぇ……」
口ではそう言う宏太朗だが、まったく動じていない。元から暗かった女の子の声が、更に沈む。
「あたしはただ、みんなが普通に外を歩いているのを見ているだけ」
言い終わり、宏太朗を見た。宏太朗が「きみは歩かないのかい」と笑って訊ねている。女の子が、目を伏せる。
「……あたしには脚がないの。普通に歩けるような、健康な脚が」
宏太朗は少し考えて、また笑った。
「じゃあ、きみがここを出られるようになったら、僕が外を案内してあげるよ」
女の子はまじまじと宏太朗を見つめている。
「どうしてそんなに優しいの?」
「僕の親友に比べれば、これくらい普通だよ」
宏太朗と女の子の何てことない会話を聞いていると、不思議な感覚に陥る。宏太朗が感じていた視線は、この子のものではないだろうか。それに――僕はいま、どこにいるのだろう……? どうしてここにいて、二人の会話を聞いているんだろう。僕は……。
「ねえ、あなたの名前を教えて?」
「うーん。お嬢さんの名前を教えてくれたらね」
「意地悪」
二人の交わしている言葉が、遠ざかっていく。僕は、僕は……。
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