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第一話:親友・宏太朗と許嫁の未散さん
これは、どの歴史の教科書にも載っていないくらいの名もなき時代、大切な人たちとともに不思議な出来事に出くわした僕の話――。
雲ひとつない空には、びっくりするくらい強い陽射しを放つ太陽が、高く昇っている。
僕、土師太市朗は、真っ暗な蔵に、我ながら貧弱といえる腕で無事に運び込んだ絡繰り人形を眺めてふぅと息を吐いた。噴きだしている玉のような額の汗を手の甲で拭う。着物の首元あたりは汗で染みができている。
僕の作った絡繰り人形の肌は蝋でできているから、熱に弱い。でもって、涼しすぎると中に仕込んだ油が冷えてしまい、絡繰りの動きが悪くなる。というわけなので、気温や湿度に合わせて保管場所を変えてやらなければならない。……難しいことを言っているけれど、僕はただの素人だ。恥ずかしながら、趣味で絡繰り人形を作っているだけの、実際は穀潰し。この南東府ではわりと有名な商人の家庭に生まれて、いずれは跡取りとして店に立たなければならない。人見知りだし、知らない人と会話をするのは得意な方ではないから、そういうのはなるたけ避けてきたのだけれど。それに今年で十九なので、許嫁の未散さんには会うと何回に一回は結婚しろと迫られる。親友の宏太朗には、あんな美人に迫られるなんて羨ましい! と睨めつけられるが、よく考えてみてほしい。未散さんは年下の十七歳。だのに、僕を「穀潰しの太市朗」だとか絡繰り人形作りが趣味なものだから「変態」だと蔑む。一応は、そんな僕のことを好きだと言ってはくれているのだけれど――怒ると驚くほど怖い。
ああ。一生、夢中になれる絡繰り人形作りだけして生きていけたらなあ。僕は小さく溜め息を吐いた。どうしてそんなに、絡繰り人形を作ることが大事なのかと訊かれたら、正直、答えられない。何と答えればよいのかわからない。とにかく、大事なのだ。
「また様子を見に来るよ」
答えもしない絡繰り人形に声をかけてから、蔵を出た。
「あ、たいちゃん」
聞き馴染みのある声がして、僕はそちらに目を向けた。親友の宏太朗だ。宏太朗は自分の魅力をよくわかっている。ああやって笑えば、大抵の人はイチコロだ。だけど僕は知っている。彼はあんなにきれいだけど、恐ろしいほど好奇心旺盛で、その好奇心を満たすためなら、平気で危ないことをしてしまうし、周りを巻き込む。僕だって長い付き合いなのだ、巻き込まれたのは一度や二度の話ではない。ただ、金銭の貸し借りは好まないようだった。
「たいちゃん。面白い話を聞かせてあげようか」
宏太朗が、にっこり笑った。こういうときの「面白い話」とやらは、僕にとっては恐ろしい話の方が多い。だが、聞きたくないといったところで、わざわざ僕がいるとわかっている蔵の近くまで来たということは、どうしても話したいのだろう。
「物騒なのは嫌だよ」
僕が苦笑いすると、「怖い話なんかじゃないさ」と前置きしておきながら、案の定、身の毛もよだつ話を聞かせてくれた。未散さんと母さんが、玄関の前のところで、どうやったら僕が未散さんに結婚の申し込みをするかというような会話をしていたそうなのだ。あの二人は結託すると、とても恐ろしい。何かにつけて僕と未散さんをくっつけようとするからだ。なにも、未散さんのことが嫌というわけではない。ただ……僕はまだ、所帯を持つには未熟すぎるし、何よりもっと絡繰り人形を作っていたい。そう、納得できるまで。
「二人はあんな感じだけど、ねえ、たいちゃん。きみはどうしたいんだい」
宏太朗が様子を窺ってくるので、僕は返事代わりにハアと息を吐いた。宏太朗にはそれで伝わったようだ。
強い、風が吹いた。僕の野暮ったく伸びた前髪を揺らし、視野がいつもより広くなった。母さんと未散さんが僕と宏太朗に近づいてくるのが見えて、ぎくりとしたのと同時に少し気分が重くなる。
結局、僕は未散さんと少し散歩することになった。宏太朗は急用ではないからと今日は帰ってしまうのだった。
今度、西瓜を持ってきてあげる――散歩中、未散さんはそう約束してくれた。未散さんの実家は八百屋なので、夏になると、いつも素晴らしく美味い西瓜を持ってきてくれる。昨年は、稀に見る不作の年だったそうで、一度も美味い西瓜にはありつけなかった。だから、未散さんの口から西瓜という言葉が出ただけですごく嬉しい。
「未散さん、ちゃんとしたお出かけはまたの機会に……だから、西瓜は……」
念を入れて、西瓜を持ってきてほしい旨を伝えると、未散さんはこくんと頷いた。
僕が宏太朗のことをわかるように、未散さんも僕のことをよくわかっている。単純な「西瓜」という言葉を使えば、僕の目の輝きが変わることを、知っているのだ。
僕は後日、宏太朗の住む女人禁制のぼろアパートを訪ねていた。このあいだ来てくれた理由が気になっていた。
「いや、ね。少し相談があってさ」
宏太朗が話した内容はこうだ。近ごろ、いつも以上に視線を感じる。自分の噂をしている娘さんはいないだろうか――。娘さんと言い切ったけれど、宏太朗に関しては自意識過剰だろう、だなんて言えない。実際、宏太朗は女性受けがいいのだ。
「わからないな……僕の知っている娘さんって、未散さんくらいだから」
すまないね、と僕が苦笑いすれば、「そうだね。未散さんには、たいちゃんしか見えてないもんねぇ」とからかわれた。だからちょっと恥ずかしくなって、僕はやり返した。
「でも、宏太朗。なにも、きみの感じる視線の相手は娘さんとは限らないだろう?」
宏太朗が、一瞬だけ面食らったような表情になる。でもそのうち、可笑しそうに笑いだした。小ばかにされている気がして、顔が熱くなっていくのを感じながら、僕は宏太朗を見つめた。
「やっぱり、たいちゃんは面白いねえ。そうだね、きれいな人なら男もありだよ」
またばかにされた気がして、思わずムッとしてしまった。
僕がムッとしたことに気づいていたようで、宏太朗はそれ以上、僕をからかわなかった。僕だって、自ら喧嘩を吹っ掛けるような根性もないから、何も言わずにいた。宏太朗の部屋では、特別することもないので、古い小説の感想を宏太朗から延々と聞いた。なかなかに面白そうな内容なのに、宏太朗は「面白かったけど、もっとスリルが欲しかった」と貪欲だった。いつも思うけれど、宏太朗には怖いとかそういう感情はないのだろうか。まあ……それがないからこそ、彼の話が面白いのかもしれないけど。
それなりの時間が経った頃、僕は欠けた湯呑で出されたぬるく薄いお茶をぐいと飲み干し、帰ることにした。帰りには河原に寄って、絡繰り人形の目になる石でも探すつもりだ。
翌日、僕が部屋で、昨日拾った石を丁寧に磨いていると、未散さんが屋敷にやってきた。お手伝いさんから知らされて、僕は小走りで玄関へ向かった。小さな身体で立派な西瓜を抱えている未散さんが視界に入り、僕は思わず「おおっ」と声をあげる。
「あら……お出迎え?」
僕が来たことに気づいていたのか、未散さんは怪訝そうに細い眉を吊り上げて言った。お出迎え……ではないことにも、きっと気づいているのだ。
「ハハ……はい、まあ……」
笑ってごまかそうとしたけど、未散さんにはそれくらいのことはお見通しだったようだ。
「わたしじゃなくて、西瓜がお目当てね」
ぱっちりした目でキッと睨まれて、「あ、いや、そんな」と、たじろいでしまう。機嫌を損ねてしまったら大変なので、とりあえず中へ上がるように促した。未散さんはずっしり重い西瓜を僕に手渡してから、上がり框に腰かけ、履物を脱ぎながら呟いた。
「わかりやすいのよ、ばか太市朗」
「すみません……」
未散さんが履物を脱ぐのを待つあいだ、僕はツルツルの西瓜を撫でた。見るからに美味そうで、重量もある。早くキンキンに冷やして、かぶりつきたい。呑気な僕はにっこりして、西瓜を食べることばかり考えていた。
「ねえ」
僕の思考を――たいした思考ではないけど――遮ったのは未散さんだった。上がり框に腰かけたまま、僕を見上げている。
「はい?」と間抜けな声で返事をすれば、少し言いにくそうに、だけどはっきりとした口調で問ってきた。
「……絡繰り人形作りって、楽しいの?」
ばかにしているような言い方ではない。それくらいのことは、鈍い僕にでもわかる。未散さんは僕を「穀潰し」だとか「変態」とは呼んでも、心からばかにしたりしない。それは宏太朗も同じだ。
「ああ、はい。楽しいですよ」と、僕が笑って頷けば、どうしてそんなに夢中になれるの?という言葉が続いた。自分でも、わかっている。絡繰り人形作りを続けていたって、何の稼ぎにもならない。役にも立たない。だけど――なぜかやめることはできない。
「……何か、足りないものを埋められる気がするんです。ハハ、陰気な答えですみません」
僕がそれっきり黙ると、未散さんも何も言わなかった。
その晩に食べた西瓜はやっぱり美味かった。切り分けた西瓜の一部を、母さんが仏壇のある部屋に運んでいくのを見やってから、僕は寝支度を始めた。
布団に入る直前、お手伝いさんが氷枕を持ってきてくれた。暑い日が続くこの季節、僕はありがたく氷枕を受け取った。
お手伝いさんの働く声で目が覚めると、氷枕はすっかり溶けていた。僕の頭の形に変形している。ぼうっと、天井を見つめた。悪い夢を見た気がする。その夢を思い出そうとしていると、不意に昨日の、未散さんとの会話を思い出した。
「ハハ……」
僕は手の甲で目を覆った。
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