それはじわりと蠱惑的で

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「いらっしゃいませ、美鳥(みどり)さん」  チリンとベルを鳴らして扉を開けば、(すい)は獲物を見つけたようにそっと目を細めて出迎えた。透き通った硝子の声が鼓膜に響く。 「ちょっと翠さん、私もいるんですけど! ふたりの世界をつくらないでくださいよ」  背後から白川(しらかわ)さんは抗議の声を飛ばした。  ふたりの世界なんてつくっていないし、つくる予定もない。翠に抗議するのは構わないけれど、そこは誤解しないでほしい。 「ごめんなさい、白川さん。今夜も来てくださって、ありがとうございます」 「私が美鳥さんを連れて来たんですからね。そこのところ、よく覚えておいてください」 「もちろんです」  くすくす笑いながら奥のテーブルへと案内される。磨き上げられた床のうえで、革靴はこつこつと小気味よく音を鳴らした。  いつ見ても汚れや傷ひとつない、つやつやした革靴。  ピンとした糊のきいた白いシャツに、背ベルトをキュッと締めた真っ黒のベスト。  軽口を叩くわりに、こういった点では翠は抜かりない。メニューを差し出す指先は、いつだって十の爪が清潔に整えられている。  翠を目当てに通う客はたくさんいるのだ、と前に白川さんが教えてくれた。そして白川さん自身もこの喫茶店を知ったきっかけは翠だった。
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