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およそ人の世は
「およそ人の世というものは儚いものだ」
そんなことを口癖のように言っていた父が、流行り病であっさりこの世を去ることになってしまったのは、なんという皮肉だろう。
遠く欧羅巴で繰り広げられた戦争の影響で、日本は世界一等国並みの債権国となっているとか。そんなことは、私にはよくわからないことだけれど。
でも、そのおかげで、我が家の蔵もすこぅし潤っていたらしい。
実家は運送業を営んでおり、陸路水路関係なく、米や塩、海産物を運んでいた。日本全国の業者と関係があったほど、手広く商売をやっていたそうだ。
“ らしい ” “ そうだ ” ばかりだが、仕方ない。
私は当時16歳。
女学校に通っていて、家のことやお金の流れなど、世間のことは何も知らない娘だったのだから。
よく言えば幸せに、悪く言えば「うすらぼんやり」と、私は平々凡々たる日々を過ごしていた。
しかし、『一寸先は闇』とはよく言ったもので。
大流行していたスペイン風邪の暴風に、我が家もさらされてしまった。
家族全員が罹患したのだが、大黒柱である父だけが亡くなってしまったのだ。
そこからはもう大混乱。
なにしろ、父が実務面から全て、ひとりで差配していたのだから。
使用人は大勢いた。当面は、大番頭や小番頭といった生え抜きの雇い人たちが、商売を続けてくれることになった。
父を喪った悲しみの中、母は気丈にも夜寝る暇もなく、おそらく生まれて初めて商売に取り組んだ。
その頃の母のことを思い出すと、涙が出てくる。綺麗に結った艶髪が、一気に白髪が目立つようになった。それほど苦しい日々だったのだ。なのに私ときたら、毎日父のことを思い出して泣くばかりで、何もお手伝い出来なかった……。
ある朝のこと、母の悲鳴が家中にとどろいた。
金庫にあった債券や現金が全て消えていたのだ。
見つけたのは、祖父の代から働いてくれている大番頭さん。
「ど、泥棒?」
「いや……」
漏れ聞こえる母と大番頭さんの会話に、私と妹の律子は息をこらして聞き入る。
「八助のやつかもしれません」
「え?」
八助とは、小番頭さんだ。
「さっき慌ててあいつを呼びにやらしたんですが、家はもぬけの殻でした」
「うそ!」
その後は、「奥様!」という婆やの切羽詰まった声と、母の泣き声が響くばかり。
この日を境に、我が家の暮らしは一変してしまった。
商売を続けようにも、元手も無く後継者もいない。いずれは長女である私文子か、律子が嗣ぐことになっていた淡路屋海運は、一夜にして瓦解してしまったのである。
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