花火と感情

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「先生! なんで、あなたは、こんなに散らかしたままなのですか!」 先生が困った男の子のような顔をしている。 先生は、使ったものや脱いだものを、もとに戻さない。いつも後始末は、私の仕事だ。 ときどき、イライラしてしまう。 先生としても、こんなことを言われるのは嫌なのではないだろうか。 私としても、こういうことで怒りたくない。大したことではないのに、イライラしてしまうことがある。 どうして、私に、こういう感情が残されているのだろう。 その日、私は森へ狩りに行った。風で飛んできたのだろうか。その時、一枚の紙が、草の上に落ちているのを見つけ、私はそれを拾った。 私には読めない文字と内容のわからないイラストが描かれていた。私はそれを持ち帰り先生に尋ねた。 「この描かれている光の筋みたいなものは何ですか?」 先生は、その紙を目を細めて眺めたあと 「こんなものが飛んでくるとはな」 と呟いた。 「花火と言うんだよ。燃える薬品で空に光の飾りをばらまくんだ」 と先生は言った。 私は即座に「それを見てみたいです」と言った。 私は好奇心と言うものがたくさんあるみたいだ。 先生は、少し考えて「見せてあげるよ」と言った。「一回だけだが」と先生が言ったので、少し疑問に思ったが、私は嬉しくなった。 こんな山奥の僻地で私と先生はひっそりと暮らしている。ほかに人間はいない。 私の役目は、年取った先生の代わりに、狩りをすることや作物を作ること、先生を慰めること、だ。でも、先生は私に対して労働をさせるだけではなく、何かにつけてイベントをやってくれたりもしている。 誕生日や季節に応じた祭りというものをしてくれたり、花を摘んできて飾ってくれたり。生きていくためには、全然不必要なことなのだが、先生が喜ぶことを共有すると、なぜか私も嬉しくなった。 そんなある日「花火」が描いてある紙を私が拾ってきたのだ。 先生は、私たちの住居の奥の方から、小さな箱に入ったものを出してきた。 「これは?」と私は尋ねた。 「僕が最後に開発した薬品だ。あの紙にあった花火とは違う光や色になるとは思うが、これで花火は作れる」 「危険じゃない高度まで打ち上げるには、結構な推進力が……」と言いながら作業をする先生を見ながら、私はわくわくしていた。 私は、ふと思いついた。 「先生はなぜ、こんな薬品を持っているのですか?」 先生は、目を見開いてから、すぐ笑顔に戻って、言った。 「昔、僕は『爆発する機械』を作っていた。その材料なんだ。とても役に立つものではあったが、それは、空気や土や水を汚くしたんだ」 「役に立つものでも、それは悲し過ぎますね……」 「ああ。だから、きれいで安全な『爆発する機械』を、僕は作ろうと思った。そして、完成した。それは、随分使われた。しかし『病気を流行らせる』方法の方がもっと効率的で主流になってしまって、僕は……ああ、ごめん…… そんな顔をしないでくれ。 悲しいことばかり言ったね。 僕の開発した薬品は、もうこれだけしか残っていないんだ。 だから、一回だけしか、見せられない……」 「そうでしたか。そんな貴重なものを私のために……」 「いや、自分を吹っ切るためにも、こうすることが必要だと思って……」 「でも私……」 「いや、いいんだ。自己満足かもしれない。君と僕が一緒にやるほとんどのイベントは生きていくためには、必要ないものだ。でも、君と共有したいんだ残りの人生のいろいろを」 「はい……」 理解はできなかったが、笑顔で理解……感覚的に通じた振りをすると、先生が喜ぶことを知っていたので、私はそう反応した。私はアンバランスだ。共感できることもある。でも、理解できないこともたくさんある。そういうときに、どうしたらいいのか。そこは、ある程度柔軟に対応できるようにはなっているけれど。 一週間後、それはできた。先生と私は、その「花火」を持って開けた所へ来た。 「これが、人類最後の兵器だ……」 先生は小さな声で呟いた。 私は「ヘイキ」という言葉の意味はわからなかったが、先生の表情や皮膚の温度の変化を見て、何か重い意味があるのだと察した。 先生の寿命が尽き、先生を埋葬したあとは、私も自動的に機能を停止することになっている。 私には、いろいろな機能が備わっているはずなのだが、先生は私の中のかなり限定的な知識データしか解放していない。 そのわずかな知識の中で解放されたのは、山でのサバイバルの仕方や農業のやり方だ。そういう生活の中で、誕生日とか、宗教的なお祭りとか、いろいろな人間の文化的なことを教えてもらって一緒に祝っている。 それは、なんとなく嬉しいと感じていた。 「教えられて一緒に何かを分かち合うということが嬉しい」というふうに、設定されているのかもしれない。 先生は知識の機能はとても限定的にしか解放しなかったのに、私の感情の機能は、ほぼ全部解放した。 私の認知回路は、とてもアンバランスだと思う。知識と感情の全機能を解放してくださったらよかったのに。そうしたら、先生や世界のことがもっと、理解できて慰めてあげることができるのに。 先生が、なぜこんなふうに私をしたのかも大きな謎の一つだ。 こんな状態だから、先生の言動に接してもわからないことも、共感できないこともたくさんある。 でも、先生と一緒に何かをする時、イライラさせられたり、嬉しかったり、いろんなことを積み重ねていく記憶や認知の回路ができてくるにつれて、先生に対して、よくわからない感覚を感じるようになった。 嬉しいような悲しいような切ないような。これを表現できる言葉があればいいのにと思う。 「さあ、打ち上げるぞ!」 先生は、機械の準備を終えると、子どものように笑ったあと、今度は、長い長い間、無限の何かを通り越した先を見るような表情をしていた。こんな顔をした先生は、初めてだった。 噴射口からの火が輝き、「花火」が、一直線に高く高く昇っていくのが見えた。 そして、大地が揺れるほどの大きな衝撃があって、空が見渡す限りオレンジ色になった。あんな高い所で爆発したのに、弱くなった爆風が地面に吹き付けてきて髪が風になびくのを感じた。 確かに、紙に描かれていた花火とは全然違う。 でも、先生の「花火」は、とても綺麗だと私は思った。
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