12話 天使の名前

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12話 天使の名前

「紡久、一緒に水族館行こう」  受験の時に家庭教師をして貰った大翔(ひろと)さんから、ある日水族館に誘われた。水族館は好きだし大翔さんのことも好きだったから、俺が断るはずもない。  大翔さんはいろいろな国の血が混ざっていて、日本人の血は四分の一だけらしい。色素の薄い儚げな容姿はまるで絵画から抜け出てきた天使のようだった。  大翔さんにはルヒエルというもう一つの名前があって、あまり聞き覚えはないが風の天使の名前なのだそうだ。そちらの名前より大翔と呼んで欲しいと言われたので、普段はほとんど意識していない。 「うん。俺ハンマーヘッド・シャーク見たいなあ」 「一緒に見ようね、紡久」  物腰のやわらかい優しい人だったけれど、少しずつ歯車が狂っていったのは何故だろうか。それに気づいたのに止められなかったのは、俺の罪なのか。  アクリル水槽の歪みに酔った大翔さんがどこかで横になりたいと言うので、請われるがままホテルに入って、そこで初めて抱かれた。俺にとってはまったくの想定外で、同性同士でもそういうことが出来るのだと身をもって知った。 「紡久と水族館に来られて良かったよ。予想以上に可愛い紡久も見られたし……いいアイデアが浮かびそうだ」  大翔さんは作曲が趣味で、以前からよく作った曲をピアノで弾いて聴かせてくれた。あまり他の人には認められていないようだけど、美しいピアノ曲は大翔さん自身であるかのようだった。俺はそのメロディが心地良くて、家に遊びに行くようになったのだ。  可愛い紡久、というのはベッドでのことを言っているのだろう。恥ずかしいからやめて欲しい。自分のことを可愛いと思ってはいないけど、大翔さんにとっては可愛がる対象なのだろうか。初めからそのつもりで水族館に誘ったのだろうか。 「え、気持ち良くなかった? うぅん。次はもう少し、良くなるかな」 「……良かった、けどさ」  そうは言ってみたものの、実際には初めての経験で、大翔さんをこの身に受け入れるのは苦しいばかりだった。だけど本当のことは言えない。大翔さんに悪いから。次……が、あるのか。あまり乗り気ではない。 「曲が出来たから、ピアノを聴かせたいな。遊びにおいで。歳の離れた弟がいるけど気にしないでね」
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