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睡魔と戦っていた島田は、俺の声掛けにかっと目を見開いた。横たえていた体をいきなり起こす。
「今なんて?」
「ジョギング行くかって聞いた。俺毎朝走ってるんだけど。無理なら寝ていていいぞ」
「じゃなくて、その前です」
ん?
島田はなんだか目をそわそわと彷徨わせている。いきなり起き上がったので、布団から出た上半身だけ見ると島田が全裸に見えてどきりとした。
「俺なんか言ったか?」
「え、ですから……僕のこと『大和』って。まだ寝ぼけてるわけじゃないですよね?」
「あ? あー……」
指摘されてなんだか恥ずかしくなる。また無意識に呼んでいた。そうだ、昨日グレネリによって地獄の門が開き、過去を思い出したのだ。そのことを島田は知らない。
地獄の門て。あれ明らかに楽しんでたよなグレネリ。確かに地獄だったけど……なんだか今はまあまあ冷静に受け止めている。条件が揃ったと判断したのは、多分適切だったのだろう。
「大和……って呼んでもいいよな? ほら、俺昨日おまえに好きって言われたし、俺も言ったし。これって付き合うということでいいんだよな? あ、社内ではわきまえるけどな」
「あ、ですね。はい……問題ないです。是非」
俺の記憶の中で島田が大和と紐づいた結果なのだが、ずっと島田と呼んでいた手前なんだか照れ臭い。それでもこの機会を逃すと呼び名迷子になる気がしたので、思い切って切り替えよう。
十代半ば頃の大和から、二十一に成長した大和は身長と肌の色を除き、そんなに変わっていなかった。こんなに敬語じゃなかったけど、まあそれは大人になったということか? いろいろ苦労したんだろうな。
普通に喋ってくれていいけど、それは徐々に変わってくるだろうし、いきなり多くの変化は不要だ。
「ちゃんと言えてなかった気がしますので改めて。紡久さん、僕の……」
急に真剣な顔になって俺を見つめてきた大和に、またどきりとする。
「……パートナーになっていただければ幸いです。一緒に一つずつ問題をクリアしていきましょう」
「ビジネスパートナーかよ」
「え、違……」
言い方が堅苦しくて、思わず笑ってしまった。まあいいや。少しずつ、クリアしていこう。大和がいればなんとか前に進める。
「ジョギングがてら、僕の部屋へ一緒に来てもらっていいですか。着替え持ってきてないので着替えたいかなって。ここから……ざっと七キロほどありますけど」
いつもよりは少し距離多めになるが、まあ許容範囲だろう。大和の後ろで天使と悪魔が何かを訴えているが、俺はあえて反応しなかった。……なるほど。そういう。
✢ ✢ ✢
俺たちは家を出て軽く走りながら、たまにぽつぽつと言葉を交わした。朝五時の空気は澄んでいて、人通りは少なかった。いつも出会う犬の散歩をしている名も知らぬ人が、こちらを見てぺこりと会釈した。
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