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「さっき受付の女性にランチ誘われてなかったか?」
先刻目についた場面を思い出す。島田はにこりと笑顔を見せ、困ったように小声で囁いた。
「あまり親しくもない女性とのランチは苦手で。他と約束があるとお断りしたので、しばしお付き合いいただけますか」
異性慣れしていそうな外見なのに、意外と奥手なのだろうか。で、俺のところに来たと。
「ふうん。決まった相手とかいるの……かな?」
なんとなく探りを入れたら、島田は即座に首を横に振った。いない、ということらしい。あ、これセクハラになるか? 島田は気にしなかったからセーフ?
「結城さんはカレーですか。美味しそうですね」
島田はナンとカレーを興味深そうに眺め、さらっと俺の名を呼んだ。
あ……れ?
名乗ったことはなかったんだけどな。今まで個人的に話したこともなく、これが初めてだ。ただこっちが勝手に認識しているだけの話であって。
からあげ定食に口をつけ始めた島田は、俺の不思議そうな視線に気づいたようだった。
「――失礼しました。広報部の結城紡久主任ですよね? 僕はこの春から出向で開発部に籍を置いている島田ウリエル大和といいます」
自己紹介がすごく丁寧で好感が持てる。そっか日本名があるんだ。大和か。いい響きだ。
島田の天使と悪魔はわちゃわちゃしているが、本人は年齢の割に落ち着いているようだ。出向ということは、うちの会社の新入社員ではないのか。若いけど。
「お互い顔くらいは知ってたのかな? よろしく島田くん」
「結城さんは先日社内表彰されてましたので」
定期的に行われる、会社に貢献した社員の表彰を言っているのだろう。俺も何人かのうちに選ばれて、金一封と表彰盾を貰った。
俺と島田は食べながら無難な会話を続ける。
「結城さんて、健康に気を遣ってそうですよね。自己管理とか厳しそう」
「んー、どうかな? わりと好きなもの食っちゃうけど。あと片頭痛持ちだから、薬は飲んでるんだよなあ」
以前から俺は慢性的な片頭痛に悩まされている。長い目で見て治療しましょうねと言われ、定期的に通院してかれこれ何年だろう。あれ、初対面で不健康自慢とか痛々しいな俺。
「それはつらいですね」
「うーん……そうだね。ごめん愚痴みたいで」
長い目で、というかなんとなく片頭痛の原因はわかっていた。天使と悪魔の声がうるさすぎるのだ。
人が多いところだと尚更だが、島田と話し始めてから少しずつ他のノイズが入ってこなくなった。あ……ちょっとこれ楽だな。なんだろう。
会話を終わらせるのがもったいなくなって、俺は唐突にカレーを勧めてみた。
「これ味見してみる?」
「ああ、いえ……」
島田が戸惑ったように視線を彷徨わせた。まずい失敗した。気軽すぎたかもわからん。さっきからやらかしてる気がする。
限られた昼休み、のんびりとしているわけにも行かず、俺たちは言葉少なに自分の食事を胃に収めることに専念した。沈黙が落ちてしまったので、壁に取り付けられている大型のテレビになんとなく視線をやる。
番組の合間にコマーシャルが流れているところだった。バックに流れる音楽は疾走感があり、映像によくマッチしていた。確か大翔というミュージシャンだった気がする。実はよく知らない。
俺の視線の先が気になったのか、島田もちらりとテレビを見たが一瞬不機嫌そうな顔をしてすぐに立ち上がった。なんだ今の。
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