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「あっ結城主任……」
卵のコーナーでパックを取ろうとしたら、横から出てきた手の主に声を掛けられた。ん、なんか見たことあると思ったら、同じ部署の女性だ。今大和は他のコーナーを見ているので隣にはいない。
「こんにちは、小野さん」
「あっ、はい! こんにちは! あれ、結城主任てこの近くですか?」
「いや今日は……たまたま」
卵を買い物かごに入れながら、なんて答えようか迷う。彼女は俺に対し、妄想という名の葛藤を披露してくれるのだ。しかし今日は特に問題もない。静かなものだ。
「あたしこの近くの会社で借りてるマンションに住んでるんです」
「――ああ、そうだったんだ」
「さっきウリエルくんも見かけたんです。知ってますよね、開発の島田ウリエルくん。彼も確か同じマンショ……」
小野さんは何を察したのかわからないが、にこにこっと笑顔になって「応援してます♡」と囁き、卵コーナーから去っていった。え、なに。何を応援してんの。
よくわからないまま食材選びを済ませ、大和と合流する。レジの列に並んでいると、またしても小野さんと遭遇した。隣のレジだ。ぺこりと会釈されたので俺も曖昧に返す。ああもうこれは言い訳出来ないな。まあいいか。
「紡久さん?」
「同じ部署の子にバレたけどいいよな」
「……『小野』さん?」
「知ってるのか」
「苗字に『野』がつく人には気をつけてくださいね。あなたの敵にも味方にもなる可能性があります」
「何そのお告げ。そこらじゅうにいるだろ」
「勿論ごく一部です」
「……佐野とか?」
大和が何を言いたいのかわからなくて、しばし悩む。……あ、何? もしかして小野さんも何か関連しているのか。まさかとは思うが、俺の意識を誘導した?
――結城主任ウリエルくん見てたよね、恋かな? 恋だよね?
――あの二人だったらどっちが受けかな? やっぱ結城主任しか勝たんか。
などの発言を、天使と悪魔を介して俺にぶちまけた小野さん。え。嘘だよな。あんなんで?
「彼女、相手の心を誘導するのがうまいと聞いてます。まったく心にもないと、無理らしいですけど」
大和は苦笑いして小野さんのほうをちらりと見たが、あちらの列の流れが早いのか既にいなかった。
あの会社、どこまで人が侵食しているんだ? 怖いな。あれ、そういや社長『野』がつかなかったか? え? やだな転職しようかな。……まあ、今はいいか。必要以上に疑心暗鬼になる必要はない。
✢ ✢ ✢
休み明けに会社に行くと普通に佐野がいて、普通に俺に話しかけてくる。朝から会議で目まぐるしい一週間の始まりだ。小野さんはやたらにこにこと機嫌よく俺を見てきた。何か妄想が捗っているようだが俺にはわからない。
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