1話 天使と悪魔

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1話 天使と悪魔

 昼休みの食堂は賑わっていた。豊富なメニュー、旨さと安さが評判の大手自動車会社の社員食堂では、オーダーに迷う社員の姿が毎日のように観測できる。 「おっ、からあげ(オニ)旨そう。からあげ定食にしようぜ。カラッと揚がった握り拳みたいな熱々のからあげに、タルタルソースをたっぷりつけて……豪快にかぶりつく! これこそ至高」 「この前ウリくんウエイトが増えたとか言ってたじゃないか。今日のところはきつねうどんにしとこ? きつねうどん!」  からあげかうどんかでせめぎ合っている平凡な日常の一コマ……と思いきや、実はそうではない。これは俺だけに見えている光景なのだ。頭がおかしい? いや断じて違う。  どういうことか?  俺が見ていたのは、島田(しまだ)ウリエルという男の動向だ。生粋の日本人ではないらしく、背がやたら高くて小麦色の肌に淡い金髪、琥珀色の瞳という非常に目立つ男だ。なんとなくサーバルというネコ科の肉食動物を思わせる。白シャツに細身の黒いスラックス。ノーネクタイ。胸ポケットに眼鏡が入っているのが見える。なんで俺が直接喋ったこともない彼の名前を知っているかというと……。 「島田くん、一緒にランチしない? ……ん、わかったまた今度ね♡」 「ラッキー、ウリエルくんだ。目の保養。午後も頑張れる」  このように、周囲の島田に対する声掛けや噂話が耳に入ってくる。ほんの少しアンテナを広げれば、簡単な情報などすぐ入手出来る。  今年の四月から社員食堂で見かけるようになって約二ヶ月、島田は視覚的に印象に残る男なのだが、それ以上に印象に残るのが昼食のメニュー選択時における迷いだった。なんだかいつもその派手な外見で悩んでいるため、自然と目が行くようになってしまった。しかしながら、特に用もないので遠目で眺めるに留まっている。 「きつねうどんんん? 定時まで腹が保たねえよ」  からあげを推しているのは、島田をちょいワルにしたような風貌の悪魔。欲望に忠実であり、楽なほう、倫理的に避けがちな意見に誘導することが多い。背中には蝙蝠を思わせる翼が生えていて、無駄に色気を感じさせる。 「お揚げ二枚にしてもらお!」  大して変わりがないような主張をしているのは、思春期を迎えたくらいに見える男の子の天使。こちらにも島田の面影があり、もしかしたら過去の姿が反映されているのかもしれない。  彼らは、島田の心が生み出した天使と悪魔だ。  生きとし生ける人間には大抵、天使と悪魔がついている。大袈裟に捉える必要はない。選択肢に迷った時現れる、思考実験のような存在だ。  普通そんなものがいたら社会に混乱をきたしそうな気もするが、特に問題なく機能している。何故ならば天使と悪魔が見えているのは俺が知る限り俺だけだからだ。いつの頃からか、自分はともかく他人のものまで可視化出来てしまうようになった。
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