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 演劇は大学を卒業するまで、というのが、幼い頃から貴紀が父から言い渡されていたことだった。  幸家は、貴紀の曽祖父の代から米菓の製造販売の会社を経営している。  三代目である父は商売の才能があり、家族経営に毛が生えた程度だった会社を、本社と工場に分かち従業員数100名の株式会社にした。  貴紀に兄弟はいない。  父はそんな約束まで交わすほどなのだから、将来的に一人っ子である貴紀に会社を任せるつもりでいるのだろう。  大学に入ってからは一人暮らしをしていて、月に一度の会食時にしか両親と会うことはなくなったが、実家にいた高校生の頃までは、いつまでお遊びの俳優ごっこなんてやってるんだ、としょっちゅう父から小言を言われていた。  だけど皮肉なことに、貴紀がここまで演劇にはまるきっかけを作ったのは父だった。  幼稚園に通っていた頃の貴紀はひどい内弁慶で、外の世界ではほぼ人と口を利かず、他の園児や保育士の先生に心をひらかない子供だった。  将来社長に仕立て上げたい息子がそんなことではいけないと、父は貴紀を児童劇団に入団させた。
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