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それはもうわかっていたことなの。
あの人は電話にも出ないし、メールもラインも返してくれなくなった。
ずっとそんな日が続いていたある日、あの人がうちの会社の重役の娘さんと婚約した話を聞いた。
ああ、そういうことか、
と全てを悟った。
彼と私とのことは誰も知らない。
でも今、私が大騒ぎしたら、もしかしたら彼の婚約は破談になるかもしれないし、それであの人に仕返しできるかもしれない。
それは出来る限り可能なことな気がした。
何よりうちの会社の重役は娘や彼のことより自分の対面を一番に重んじるだろうから、そんな他の女子社員に手を出していた男を自分の娘の婿にするとはちょっと考えられないからだ。
でも私はそんなことをする気はなかった。
彼に幸せになってほしいと思ったから。
今更、その重役のお嬢さんと別れたからといって、彼が私のところに戻ってくるとは思えなかったから。
変な真似をしても、ただ彼が傷つくだけで、私には何の得もないことはわかったから。
少しは私に同情してくれる社員がいるかもしれないけど、そんなの、愛する彼がいなくなってしまってから何をどう慰めてもらってもどうにもならない。
ただ密やかな、ささやかな私たちの恋愛の無残な残骸を、赤の他人の見せ物にするだけの話だ。
私はこのまま静かに彼と私の間には何もなかったんだということにしようと思った。
どうせ私と彼の間の事は二人しか知らない。
ならばこのまま静かに、何事もなかったように二人の間にも元々何もなかったことにしたいと考え始めていた。
それが一番良い。
つまらない報復に何の意味がある?
私は彼を恨んでなんかいないし、本当に彼には幸せになってほしいだけだ。
ずっと私が彼と付き合っていて気になっていた事は、本当に彼は私と一緒にいて幸せなんだろうか?ということだった。
そのことをずっと気にしていた。
でもやっぱり幸せじゃなかったんだろうな…
彼の選択はそういうことを意味しているのだと思う。
それならそれで、それが現実だと認識して、それを受け入れようと思った。
私といて幸せじゃないなら、私といる意味なんて何もないし、私が彼を取り戻すことにも何も意義はないから。
人が良すぎると言われるのかもしれないが、私にはどうしてもそういう選択が一番いいような気がしていた。
彼がこの会社で出世するのかどうかは知らないし、そこにはあまり興味がないが、あの人が幸せならそれでいいと思った。
外は雨が降っていた。
ひたすらそぼふる雨。
いいよ、雨が降るなら好きなだけ降ればいい。
何気に私の口癖。
私はこれまでだって土砂降りの中、傘もささずに生きてきたようなところがあるし、今だってこのぐらいのこぬか雨なら傘もささずに歩いていける。
ちょっと泣きながらだけど。
でもその涙も、そぼ降る雨が全て隠してくれるだろう。
雨にはそういう優しいところがある。
今日は傘を持ってこなかったのでこのまま濡れて帰ることにしようと思った。
それが今の私には一番似つかわしいことのように思えた。
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