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出会い
春の匂いがする夕暮れ時。
家具の納品を終えて、俺はいつもの道を帰途についていた。
下町の裏路地で、古いあばら家がごちゃごちゃと並んでいるエリアだ。
あそこの角を曲がれば、もう少しで工房にたどりつくというところで――
空から少女が降ってきた。
「おいっ、危な――」
俺はとっさに、少女を受け止めた。
勢いでそのまま後ろに倒れ込む。
落ちてきたのはまだ小さい子どもで、体重も軽かったから、大したケガもせずに済んだ。
少女はきょとんとした顔で、俺の胸の上にのっていた。
その手には、白い花のついた木の枝が握られている。
肩のところでまっすぐ切りそろえられた黒髪にも、花が飾りのようにくっついていた。
「……とりあえず、降りないか?」
俺が声をかけると、少女はハッとした顔で、あわてて俺の上からどいて、謝った。
「おじさん、痛かった? ごめんなさい」
「それほど痛くはない。お前は何をしていたんだ?」
「サラの木の花を、とりたくて」
なるほど、少女の手にある白い花は、サラの花だ。
見れば、すぐ側のあばら家の前に、サラの老木が生えていた。この木は、春になると他の木に先駆けて、小さな白い花を咲かせる。
少女はその花をとろうとして、木に登っていて、落ちてしまったのだろう。
「サラの枝は折れやすい。登ると危ないぞ」
そう注意すると、少女は口をとがらせた。
「だって、お母さんに、見せてあげたかったんだもん」
「花をとらなくても、呼んできて見せればいいだろう」
少女はうつむいて、小さな声で言った。
「だって、お母さん、いつも寝ているから」
「――もしかして、病気なのか?」
俺がたずねると、少女はこくんとうなずいた。
あまり近所づきあいをしない俺は、同じ町内の人たちの様子もよく知らなかったが、どうやら少女は、病気の母親とふたりで暮らしているらしい。
「お母さん、サラの花が好きなの。今年は咲いたかなって、気にしていたから」
起き上がれない母親のために、サラの花をとってこようと思ったらしい。
事情を知って、俺は怒る気も失せてしまった。
「そうか。じゃあ、早く帰って見せてあげな」
少女の背をぽんと叩いてうながすと、少女は「おじさん、ありがとね!」と元気に言って、あばら家の中に駆け込んでいった。
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