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大学時代のサークル仲間で定期的に開かれる飲み会に、その日私はたまたま顔を出していた。皆それぞれ仕事が忙しいようでいつも集まりは決してよくない。だからあまり話したことのないメンバーとも隣になって、それが孝一だった。
彼とは学部も学科も趣味も出身も、なんら共通点はない。おそらくお互いに、名前くらいしか知らない存在だった。
私はとにかくお酒が飲みたい気分で、なぜなら男に振られたばかりだったから。
彼が何と言い出したのかはよく覚えていない。確か「大丈夫?」だか「何かあったの?」だかそんな普遍的な台詞。
私は何杯目かわからないビールを飲み干して、隣に座っているよく知らない男を見据えて口を開いた。
「私って、たまに魚とか焦がすし、卵割って中身捨てて殻をボールに入れたことあるし、考え事してて新幹線で下りそびれてとんでもないところまで行ったことあるんだけど」
「はあ」
ほとんどアルコールを摂取していないらしい彼は素面に近く、私を怪訝そうに見返していた。
「どう思う?」
「ドジ、とか?」
「あー惜しい!」
ちょっと違うんだよなあ。私は唇を尖らせて、泡の消えてしまっている彼のビールを横取りした。
「ぬるい。新しいの注文して」
「人の取っておいてそれはないだろ」
呆れた表情で彼は私からグラスを奪い返し、店員を呼んだ。冷たい水をお願いしようとする彼を遮り、芋焼酎をロックで頼む。芝居じみた仕草で肩を竦める彼を無視して私はテーブルの上の枝豆に手を伸ばした。
「じゃあ、酔っ払うとよく知らない人にも絡む。これはどうだ」
「だから、なんなの、それ」
「どう思う?」
「面倒くさい」
「辛辣! 違う!」
私はケタケタ笑って、彼の眉間の皺をじっと眺めた。
「ほら、間抜けで、どうしようもない感じだよ」
「天然?」
「そんないいものではない。例えばさ、すぐ道に迷ったりとかする子どもどう思う? 心配でしょ?」
「ああ……ほっとけない、かな」
「正解!」
枝豆の殻で彼の鼻先を指してから、運ばれてきた焼酎のグラスを受け取る。揺らすとからりと音がして、透明な液体の中で氷がきらきら光った。
「私、それなりにほっとけない所もあると思わない?」
「まあ」
私は至極満足して、それから肩を落として頭を垂れた。「忙しい人だな」と呆れた声が頭上から降ってくる。
「ええっと、平田くん、だっけ」
「平原孝一」
「冗談だよ。聞いて平原くん。私つい二週間前に男に振られたんだけど、私を振る男って、みんな口を揃えて言うんだよね。他に好きな相手がいる、もしくは出来たんだって。それでまあ、その相手っていうのが、ほっとけない可愛い子なんだって。なに? ほっとけないって。じゃあ私は、ほっとける女だからほっとかれてるってこと?」
幕なし語る私に彼は呆気に取られたようで黙っていたけれど、やがて温いビールを一気に煽った。
「付き合うよ」
どうやら一緒に酔っ払ってくれるらしい。その言葉に私はまた口角を大きく上げて、目を細めた。塩だれの掛かったキャベツを箸で摘まんで、バリバリと咀嚼する。
ほっとけない。まるで呪縛だ。世の中の人間は、二つに別けられるのだ。ほっとかれる人と、ほっとかれない人に。
思えば物心ついた頃から、両親でさえ私をほって弟ばかり見ていた。染みついたものって、とれないものだな。
「世の中さ、綺麗なだけじゃ生きていけないし、優しいだけじゃ愛されないし、強いだけじゃ守って貰えないんだよ。難しいなあ人生って」
容姿を磨いて、勉強して手に職を付けて、強く優しく生きていけば、幸せになれるのだと思っていた。でも気が付いたら私はずっと独り身で、好きな男一人落とせない。上手くやれば、良い子でいれば、良い成績を残せば、綺麗になれば、みんな私を見てくれると思ってたのに。
頬がうだるように熱い。流し込んだ焼酎が喉を焼く。
「無理にほっとけないような人間にならなくてもいいんじゃないかな」
彼はどうやら酒に弱いようだった。一杯のビールですっかり赤くなった顔をしている。
「そうだったら、いいんだけど」
なんだか毒気の抜かれた私は、肺から息を絞り出した。言いたいことは沢山あったのに、不思議とどうでもよくなってしまった。
それから私たちは二人で飲みに行くようになり、しばらくして恋人になった。面白いくらい自然に、どちらともなく付き合いだしたのだ。これが彼の言う自然な成り行きなのだろうかとその時は、身を任せてみるのも悪くないと思った。
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