第3話

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第3話

 〝バッタ〟と出会って一週間が経った。  徳明が今、何をしているかというと、庭の草刈りだ。  草刈りと言っても正確には刈っていない。引っこ抜いているのだ。  庭の手入れを全くしていなかった魚沼のおじさんのお陰で、雑草の高さは腰まで伸びていた。それを丁寧に手で引っこ抜いていたのだ。 「アイテテ、腰痛っ」  今日も曇り空だ。昨夜の雨の為か、わずかに庭の土が湿っていた。 「蒸し暑いなぁ」  空を見上げると、二階のガラス窓に一筋の光芒が反射して、思わず目を細めた。  彼がなぜ草刈りならぬ、草抜きをしているのかというと、それはもう一匹バッタがいないかと、庭の隅々まで探してみようと思ったからだ。 「あの時、窓から入ったバッタの軌道からすると――」  そう言いながら、二階の窓を指さして、あの日のバッタの軌道を、放物線をイメージしながら目で追っていく。 「やっぱり、どう考えてもジャンプ地点は、この辺りなんだよなぁ。あんだけ精巧なロボットだ。プロトタイプにしても何台か作るもんだよ。もう一台二台、試作品がいても、おかしくないと思うんだけどなぁ」  そう呟きながら草を掴み、万が一バッタが草にしがみついていたとしても誤って握りつぶさないように、丁寧に丁寧に引っこ抜いていく。 「まあー天気が悪いのがむしろ幸いだよなぁ。晴天なら間違いなく熱中症だね」  たっぷり三時間くらいかけて、あらかた草を抜いた。 「ふーっ。草は抜いたんだけど」  庭を見渡すと大小様々な石や、壊れたブロック等、今まで草で隠されていた、雑多なゴミのような物があらわになった。草を抜く前よりむしろ汚い。正に瓦礫の山といった感じだ。 「こりゃぁ、ひとつひとつ、ひっくり返すかねぇ」  そういった丁度その時、ポケットの携帯端末がブルブルと震えた。  高橋からだった。 「またかよ」  実は、あの後も何回か高橋からのスカウト電話は入っていた。その度に断っていたのだが、 「何回目だっけ? 面倒だなぁ」  と、今回は着信拒否した。 「ま、いいか。今は、バッタの方が重要なんだ。さ、さっさと続きを――」  そう思った瞬間、徳明は肝心なことに気づいた。 「あれ? まてよ? 高橋のオファーを受ける条件として手術代金を前借りするという手があるのじゃないか?」  そして腕組みしてうーんと唸る。 「といっても、前借りするなら、見返りが必要だよな」  と、そのタイミングでまた着信した。 「もしや高橋からか?」  ドキドキしながら、どう返答するか思案してみる。 (即答は不味いよな。ならなんで初めから受けなかった? となる。主張が一貫しないのは後々不味い……もうちょっと待ってくれ、と、とりあえずぼかしておくか)  しかし、発信元を見ると(まき)からだった。不意をつかれた徳明は、慌てて電話を取ってしまった。取った瞬間、 (あ、しまった。取らなきゃよかった。なんでいつもこうなるかな)  と、後悔した。 「もしもし飯田です」 『巻ですけど、度々すみません』 「例の件ですよね? あれ、手術受けられそうなので、たぶん大丈夫です」 『え? そうなんですか?』 「ええ、昔の同僚――そ、その、お金を貸してくれそうなアテがあって。だからもう少し――あ、すみません。今取り込み中で、そういう訳なので、では!」  電話を切ったあと徳明は、 「あーあ。巻さんに嘘ついちゃったよ。ま、まるっきりの嘘じゃないし。それにしても今思えば、巻さん美人だよなぁ。もう一回会いたい気もするけど、どうかなぁ。手術できるなら今後も会えるのだけど……」  と、愚痴るように呟いた。そして、しばらく会ってない高橋の顔を思い出しつつ又考え込んだ。 「高橋かぁ。そういやあいつ、馬顔? いや、バッタ? 長い系の顔だよな。四十過ぎのブサイクなおっさんのくせに、女にモテまくりの独身貴族なのだから、糞ッ。やっぱ金かよっ。同じ独身でも、もはやランクが違いすぎる。  でもまあー僕が出せない手術費用にしても、あいつからしたら大した金額じゃないだろう、泣きついたら本当に貸してくれ――いや、今更そりゃあかんだろ。借りるならビジネス関係の中でだ。結局、見返り次第か……でも後三週間……うーん」  徳明が医療コーディネーターである巻から斡旋されているBPCS手術は、癌を確実に根治できるまだ新しい手術で保険が効かない。  また、手術の制限として手術可能な期間が厳格に規定されていた。その期間は進行ステージから判断され、徳明の場合それが六ヶ月というわけだ。  制限の理由は定かではないが、ベースになっている技術に倫理上の疑いがあって、表向き推進している政府としても、できるだけ数を絞りコントロール可能な状態にしておきたい、という噂があった。  そして、そのタイムリミットまでがあと三週間なのだ。  これを超えると従来型の延命治療になり、徳明の場合、余命半年から一年というわけだ。 「やっぱ、〝バッタ〟をリバースエンジニアリングして、おっちゃんの技術を盗むしかない。それを持ち込んで高橋と交渉する。ただ、盗めたとして、出処をどう説明する?」  徳明は迷いを振り払うように、軍手をはめた両手に力を込めて、 「今考えても仕方ない。とりあえず、まずは、リバースエンジニアリング、その為の分解だ!」  そう言いながら、空を見上げた。少し涼しい風が、頭上を吹き抜けた。  徳明がやる気になるのは当然の事だった。数々の製品を手がけた徳明から見ても、〝バッタ〟の技術には常識を遥かに超えた謎があった。  あの小型ボディの中に、一階から二階までジャンプできる駆動性能、内蔵バッテリーにしても大型の物は入れられないはずなのに頻繁に充電する必要がないほど高効率だ。  それに加え、読取りデバイスが不要な脳波コントロールに、犬並みのAIを実現するための未知の外部接続方法。ざっと考えただけでも、どれほどの価値があるのか、全く想像もできなかった。  全部手に入れば、高橋の見返りなど問題にならないほどの成果になるのは確実だろう。  やる気みなぎる徳明だったが、目の前の瓦礫の山に視線を戻した途端、両肩を力なく落とす。 「にしてもなぁ、これどうすんだよ。分解さえすれば一週間で解析できると思うけど、かと言って〝バッタ〟を分解するのも気が進まないし。早く他の試作品を見つけないと」  無駄に広い庭を見て、大きくため息をついた。 「おーい、バッタちゃん。怖がらないで出ておいでー。分解なんてしないよー」  と、そう言った瞬間。  岩陰からピョーンと、一匹のバッタが飛び出して、徳明の肩にピトッと着地した。初代〝バッタ〟とは違い、紅葉(もみじ)のような赤いバッタだった。 「へぇ、紅葉色バージョンか。綺麗だなぁ」  その日の深夜。  実験室のワークテーブル、緑のジオラマの隣に、  紅葉をもした紅葉色の草むらが完成した。
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