第5話

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第5話

 バッタが動かなくなって一週間が過ぎた。明日はタイムリミットの日だ。  スケジュール的には、明日病院で受付、その場でBPCS適用認定、そのまま入院して後日手術。ひと月もかからず退院できると、巻からは言われていた。  BPCS手術ができる病院は、この家から丸一日半かかる距離にある。幸い夜行便があるので、夜のうちに駅に行けば、明日の夕方前には病院にたどり着ける計算だ。 「悔しいけど、やはり高橋のオファーを受けよう。その上で病気の話をして、渋い顔をされたら、〝バッタ〟の外装技術の話をする。  おっちゃんには悪いが、アレの話をすれば、高橋は喜んで金を出すはずだ。何も問題はないよな。なんとなく半端で納得できないけど、命にはかえられない」  この一週間の間に、徳明は様々なことをやった。おっちゃんのパソコンのデータを隅々まで調べ、さらに〝バッタ〟のコアユニットを含め完全にバラし、丹念に調べ上げた。  しかし結論から言えば、未だにバッタの謎は解けていない。むしろ調べれば調べるほど謎が深まるばかりだった。  コアユニットの中身は徳明が考えていたより簡単なもので、演算処理とメモリーが一体化したCPUが乗っているだけだった。  このCPUは、三十年前のかなり特殊な汎用品で、高耐久、超低消費電力、さらに大容量、というスペックだった。  実はこのCPUは徳明がよく知っているもので、元は天然記念物の行動追跡用に設計されたらしいが、製品に組み込んで、ユーザーの使用状況をこっそりトラッキングするなど、産業スパイ御用達の品物だった。  これには徳明も、 「おっちゃん、なんでまたこんなマイナーなモン使ったんかいな。ロボット制御にはあまり向いていないと思っけどなぁ。取り柄と言えば、耐用年数と、絶対に止まらない可用性くらいか」  と、首をひねったものだ。  とはいえ、分解により、システムの全容が明らかになった。  超低消費電力CPUに超長寿命バッテリーを接続。センサーはカメラとジャイロのみ。外装に取り付けられた放射熱発電器から、バッテリーに充電。足の根本につけられた振動発電子により、着地時の衝撃を電力として回収する――というものだ。  しかし、 「パーツの組合せが、おっちゃんにしちゃーおかしいんだよなぁ。なんでこんなバカ高い超長寿命バッテリー使う必要あるんだ? オーバースペックだろ? それに性能はピカ一でも容量がショボ過ぎる」    バッテリーだけではなかった。発電システムが謎だらけだった。 「放射熱発電器は、背中についてるけど偽装が完璧で見た目わからない。しかも防水や、経年対策も完璧で、百年ひなたぼっこしても壊れそうもないんだよなぁ。振動発電素子も、脚の付け根の絶妙な所につけてあって、発電効率と耐久性のいいとこ取り。各パーツの応力分散がサイコーで何回ジャンプしても壊れそうもない。職人技というより、もはや芸術品だよなぁ。でもねぇ」  圧倒的に発電量が足りなかった。 「これじゃ日がな一日、ひなたぼっこしてもジャンプ一回であとは動けなくなる。振動発電があるといっても、一種の回生エネルギーだから、飛んだ以上のエネルギーは得られない。  いや、百歩譲って、充電はまだ何かの方法で可能かもしれない。しかしこのバッテリー容量だと、仮に人工筋肉の運動エネルギー変換効率が百パーセントだったとしても、恐らく飛べて一メートル。二階に飛び込む事は、物理的に無理」  つまり、電池メーカーの定格出力が正しければ、〝バッタ〟を二階まで引き上げることは計算上不可能なのだ。  不可解な事は、まだまだあった。  CPUのモールドがはがされていて、代わりにエメラルドのような色をした謎の結晶が接着されていたのだ。  しかもそのエメラルドは、無意味にデカい。CPUよりも遥かに大きく、コアユニットのほとんどを占めていて、さらにエメラルドの中には謎のパターンが埋め込まれている。 「ふつーに考えたらヒートシンクだよなぁ。しかし、この宝石、なんか、どっかで見たような、綺麗なパターンが中に刻まれている。なんとかウォーター? ああ、あれは青か、こっちは緑だもんな。まあ飾りかな? か、もしくは、験担ぎのおまじない?」  そもそも、超低電力のCPUは、ほとんど発熱しない。  モールドを破壊してヒートシンクをつけるなど、耐久性を落とすだけで全く意味のない改造だった。つまり飾りとしか思えない。しかし、 「可能性としては、この謎結晶自体が脳波センサーかもしれないけど。でも接続しているコードが見当たらないし。仮にそうだとしても、いくらおっちゃんでも脳波センサーを自力で作るのは、流石にねぇ」  謎の結晶は、軍用やカスタム品など、現存するパーツとしては存在が確認できなかった。 「ないとは思うけど、仮にこのエメラルドっぽいヤツが、脳波センサーだったとして、この黒いやつは本当は何なんだ?」  脳波センサーの謎だけでも理解に苦しむのだが、最大の謎は、人工筋肉がCPUと接続されていなかった点だった。 「どう見ても、人工筋肉はどこにもつながっていないんだよなぁ」  人工筋肉は、コアユニットの内部には入り込んでいるものの、電気的な接続がなかったのだ。つまり人工筋肉には制御用のケーブルが存在せず、文字通りそこに置かれているだけ、の状態だった。  もはやこの黒い繊維が、人工筋肉であるかも疑わしい。単なる飾りと言われたほうが合点がいく。  要するに、客観的、理論的、論理的にこの〝バッタ〟を見れば――  〝バッタ型のスタンドアロン監視カメラ。もしくはバッタの形をした模型〟  ――ということにしかならない。動力源がないのでそういうことになる。 「もしかして、僕は精神的に追い詰められて、バッタが動く幻を見たのか……そういえば夢の蜥蜴話があったよな」  徳明は本気でそう思い始めていた。今、研究室に降りて、疑いの目で二号を見ると、ただの模型に戻っているのではないか?    徳明からしてみたら、CPU内の内蔵メモリを読み出して、解読することも可能だった。しかし、もはやそんな気力すらない。駆動原理がわからないのに制御方法を調べても意味がないからだ。 「なにがリバースエンジニアリングの天才だよ。三十年も前の人が作った物に、手も足も出ないじゃないか?」   そういった忸怩たる思いを積み重ねる昼夜が一週間続き、現在に至るというわけだ。  相変わらずの曇天を二階の窓から恨めしく眺めながら、徳明は、タンブラーグラスを取り出し、焼酎をドバドバ注ぐと、グイッと飲みほした。 「長生きするために、他に手はないよな」  徳明は、覚悟を決めたような表情で、電話を手に取ると、アドレス帳を開いた。高橋の連絡先が表示される。  発信ボタンを押そうと、正に手をかけようとした時、着信を知らせるダイアログがオーバーレイした。  徳明の指は、高橋への発信ボタンではなく、その電話の着信ボタンを押してしまった。  発信元は高千代社長だった。 (しまった!)  と、思った時はもう遅い。 『久しぶりだな飯田』  久々に聞く、脂の乗ったアザラシのような声だった。徳明の眉が嫌悪で歪んだ。 『ん? どうした? おい、聞いているか?』  電話を持ったまま逡巡した。 『おい?』 「あ、ああ。久し振りだね」  やっと声を絞り出した。 『ああ、何だ聞こえているじゃないか。私だ。高千代だ』 「わかってるさ、表示されているから」 『そうか……電話番号は、残してくれていたのだな。高橋から聞いていると思うが』  徳明の喉がゴクリと鳴った。 「あ、うん……」  電話口の声がかすれる。 『今更蒸し返すつもりはないが、はっきりさせる意味で先に言うぞ。正直言って、君がやったことは許されない事だ。今でも会社としてはあれが正しい判断だと思う。  だから元通りにしてしまったら、筋が通らない。高橋からの提案は、ギリギリの線だ。だがそれは考えようだろ?   今までの飯田の会社への貢献と悪行がプラスマイナスで無くなったと思えばいい。今から心機一転、ゼロからやり直そうじゃないか?』 「心機一転だって……」 『ああ、そうだ。気負わなくていい、ゼロからスタートだ』 「いや、そんないまさら。それに貢献っていっても、僕はそんな大したことはしてないし」 『何言っているんだ、そこが飯田の悪いところだ。トラウマがあるわけでもなかろうに、君は自己肯定感が低すぎるんだ。もっと自信を持て。いいか飯田、会社組織というものは、誰が欠けても上手くいくようにするのが定石だ。私もそう思ってきたし、今でもそう思っている。実際、うちの会社は誰が辞めても問題ない。例え私でもな。だがな、物事には例外がある。君がそうだ。飯田、君の代わりは誰もおらんのだよ。誰も君の代わりはやれんのだ。早く戻って来――』    徳明が力任せに投げた携帯端末は、壁に当たった衝撃でパリンと割れた。  床に落ちた端末を、何度も何度も踏みつけた。 「畜生! 畜生! 高千代は、何もわかっていない。リバースエンジニアリングは犯罪なんだぞ! 僕の才能は、人から奪う行為そのものだ。新しい物を生み出せない事は、社内の連中にはバレバレなんだよ。社長だから、皆正直に言わないだけだってのが、なんでわからないッ糞ッ糞ッ! 大馬鹿かよッ」  徳明は、焼酎の瓶を片手で掴み、そのままラッパ飲みした。 「糞ッ……そのリバースエンジニアリングだって元は、〝おっさん〟から教えてもらったようなもんだ。僕には何もない……僕に〝おっさん〟みたいな才能があれば……」    ◇  徳明の目が覚めたのは、一晩開けた次の日の事だった。  彼が昼間で熟睡してしまったのは焼酎をラッパ飲みしたからだけではない。この一週間ろくろく寝ていなかったのだ。 「あ……そうか。寝ちゃったか。もう昼前のはずだけど……」  徳明は乾いた笑みを浮かべると、よろめきながらも、窓を開け外気を取り入れた。  外は今日も雨だった。絹の糸のような小雨が、薄い靄のように見えた。窓から入る風は少し冷たく加湿器のようにしっとりしていた。 「結局、間に合わなかった。延命コース確定か、仕方ない……いっそ踏ん切りついたわ」  そう言って、床に落ちていた焼酎の瓶を拾い上げた。まだ少し残っていたのでグビリとラッパ飲みする。口元をシャツで拭い、窓際に立った。 「それにしても、結局なんで〝バッタ〟は、動いていたんだよ。幽霊が二人羽織してるわけでもなかろうに……もしや本当に幻を見ていた……のかなぁ」  こめかみに手を当て、目元を軽くマッサージした。  もう一口、焼酎を飲もうとしたとき、バサバサバサ、と、窓から虫が飛び込んできた。  二号だった。空中で器用に羽をたたみ、シュタッと手に持った焼酎瓶の上に鮮やかに着地した。  紅葉色のボディに透明な雨粒がばらまかれていた。 「お前……まじで綺麗だなぁ。んーそうか、研究室のドア開けっ放しだったか……ってあれ? お前、飛べたの? 飛ぶって……どんだけ電力喰ってるんだよ」  二号は、焼酎の瓶の上を器用に移動して徳明の手に移ると、スリスリと身体をすりつけてきた。水滴が指をひんやりと濡らした。 「そうか……お前、飲み過ぎるなって……」  徳明は言葉に詰まり、何も言えなくなり天を仰いだ。 「最後に残ったのがお前かよ。なかなか笑えるよな。――いや、そうじゃない。悪くないな。あ……そうか、おじさんも最後はこんな気持ちだったのかもな」  ふと、ここが書斎だったと気づく。 「ふふふ。ドラマだと書斎で、日記が見つかるんだよな。それで謎が解ける。そんな都合のいい話が現実あるかよ。日記書くやつなんて絶滅危惧種だね。ましてや現実主義の〝おっちゃん〟が、自分の気持ちをつらつら日記に書くなんてありえない。僕だって書かない。あ……僕は書かない……僕なら」  徳明は、突然弾かれたように部屋を飛び出した。二号は、素早く徳明の肩に飛び乗る。研究室に降りて、あるものを探し始めた。 「僕だったら、実験データや、レポートはまず、携帯端末でメモする。書いては消しを繰り返し、まとまったらパソコンに飛ばす。パソコンでは全体をまとめ最終的に、必要な情報だけを残してあとは消す。でも、データは消してもあちこちに残骸が残る」  そして、研究室のゴミ箱のような資材が並べられている棚の片隅に、それを見つけた。 「残骸のことをわかっているから、古いメモリーや携帯端末は捨てない。機密の漏洩につながるからだ。でも破壊廃棄はしない。単に面倒だからだ。しかも故障が怖いからこまめに買い直す。すると」  そこには、おびただしい数の裸のメモリーと携帯端末が、山のように積み重ねられて保管されていた。 「古いメモリーが堆積する」  それからの徳明の行動は素早かった。  古いメモリーの内容をダイレクト接続してサルベージ。ZTPの支援AIを使い、データ復号と重複データのオミット、文脈解析、内容分析など並行作業で進めていった。  不思議なことに、研究室のパソコンは暗号化されていなかったにも関わらず、古いパソコン用メモリーは暗号化されていた。   しかし携帯端末は暗号化されていなかった。そこで携帯端末から優先的にサルベージされたため、その携帯端末内にあったメモは、一番早く意味のある文章として、徳明の目にとまった。  それを見つけた徳明は、 「なんてこった。まさか……おっちゃん。僕と何もかも(・・・・)同じだったのか……」  メモにはこう書かれていた。 『私が会社を辞めるキッカケになった、この偶然知り得た技術を、どう考えていいのか、未だにわからない。  ただこの技術が途方もなく素晴らしいもので、下手をしたら人類を根底から揺さぶりかねないのは間違いない。  そんな技術がなんであんなところにあったのか。それを私が考えたことにして世に出していいものか。出したとして責任は取れるのだろうか?』  徳明は、震える声で言った。 「なんで今まで忘れて(・・・)いたんだろう。おっちゃんは、自殺した……第一発見者は……僕だった」
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