いつか出逢った君へ

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 ◇◇◇  俺の腕の中で身動きひとつせず、俺を見上げる絵里に、俺は微笑んだ。 「絵里、手荒なことはしたくない」 「うん」 「もう、ベランダにも玄関の外にも捜査員はいる」  絵里の体が強張る。  俺から離れ、小さく息を吐いた絵里は部屋を出て行こうとした。 「絵里、待てよ」  その言葉に絵里は不思議そうに振り返り、首を傾げている。ソファから立ち上がった俺は絵里の元へ行き、手を掴むと、抱き寄せた。 「ずっと、好きだった。それだけは覚えていて」  そう言って力を込めると、絵里は抵抗しなかった。  ゆっくりと体を離すと、絵里は優しい声で言った。 「私もよ」  絵里の目を見た瞬間、俺の中で何かが弾けたような気がして、もう一度抱き寄せていた。絵里が嘘を吐いてなかったから。  この部屋で何度も体を重ねても、絵里が自分のものにならない諦めに似た感情を抱き続けた日々がやっと終わった。  だが俺にはどうすることも出来ない。絵里を手に入れることも出来ない。全てが今、終わった。  ならばこれが最後だと、唇を重ねようとして絵里の目を見ると、泣きそうな表情を浮かべていることに気づいた。俺は我に返った。これ以上はダメだ。  俺は自分に言い聞かせるようにして、絵里に別れを告げた。「さようなら」と。絵里は小さく頷き、「元気でいてね」と言った。  俺は玄関ドアの向こうにいた捜査員を引き入れ、部屋に戻って行く絵里の後ろ姿から目をそらし、部屋を出た。  外廊下には敬志がいた。  彼に俺の気持ちを気取られてはならないと、いつもより低い声音で語りかけた。「行くぞ」と。  敬志はジャケットのポケットから鍵を取り出しながら「車は下に回してあります」と言い、俺に背を向けて歩き出した。  署に向かう公用車の中では、運転する敬志は何も話さなかった。全てを知っている彼なりの優しさなのだろう。だが、俺は無言の空間から逃げたかった。 「敬志、今日の俺のことは、秘密にしてくれるか?」 「えっ?」 「この……今ここの、公用車の中でのことだ。俺とお前しかいない、ここでのこと」 「はい。秘密は守ります」 「ありがとう」  そう言い切らないうちに頬に涙が伝った。  敬志が明らかに動揺する姿に口元は緩むが、涙が止まらない。  ――絵里、俺はずっと好きだったんだよ。  警察官だから惚れた女でも利用しなきゃいけないなんて嫌だよ。嫌だったんだよ。逃げたいよ。逃げたかったんだよ。でも俺だって利用されたんだ。  だから情に流されず職務を全うした。  当たり前のことを俺はやった。  だから褒めて。誰か俺を褒めて。  ちらりと敬志を見ると、視線に気づいたのか敬志も視線を向けるが、すぐに前を見た。  こんな感情を(あらわ)にする上司など、敬志は見損なっただろう。だが、男としてなら、俺はまだ敬志に言ってやれることはある。 「敬志、お前は幸せになれ。お前は、幸せになって欲しいんだよ。だから優衣香(ゆいか)ちゃんに会いに行け。お願いだから」  ――警察官になりたかったけど、警察官になるんじゃなかった。  流れる街並みを眺めながら、俺は絵里があの日言った言葉を思い出していた。  後悔は後でするものよ――。  きっと、絵里も後悔してるのだろう。そうであって欲しいと、俺は思った。正しいことをしても誰も褒めてくれないが、絵里がそう思っていてくれるなら、俺はこれからも警察官として、正しく生きていけると思うから。  
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