1. おひさまとカップケーキ

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 私がここにやって来たのは、三月の終わりごろだ。  当日は定休日なので、お店でちょっとした歓迎会でも開きましょうか。事前に瞳子さんがそう言ってくれていたのに、ディドルのドアを開けた先には瞳子さんも正樹さんもいなかった。  そのかわりに同い年ぐらいの背の高い男子がひとり、陽がこぼれる窓辺に立ってぼうっと外を眺めていた。窓から見える街路樹の桜の木は、満開の一歩手前まで咲いている。  その人は静かにこちらを向くと、私の顏と引っ張ってきたキャリーケースとを交互に見比べた。 「どうしたの、迷子?」 「え、違います。引っ越してきたんです!」  たいして年が変わらないであろう相手に明らかに年下扱いされた気がして、反射的に言い返してしまった。 「あー、あんた今日の主役の人か! ごめんごめん、迷子か家出の中学生かと思ったけど四月から高一だよね。瞳子さんたちから話は聞いてるよ」  二人称があんたの失礼な人は、ゆっくり歩み寄ってくると片方の口角だけを上げた。いびつなのになぜか警戒心が解ける、一度見たら忘れられない笑みだ。 「俺は、伊坂直人(なおと)です。あんたと同い年で、来月から正式にカフェ・ディドルでアルバイトを始める予定。よろしく」 「今日からここで暮らす、松井瑠花です。ええと、こちらこそよろしく」  頭を下げると、背負っていたリュックの中身も揺れた。  ふっ、と吹き出す音が頭上からする。 「ふ、あんたやっぱり迷子っぽいよ。リュックとキャリーケース、大げさで釣り合ってないもん」 「はああ? 別に笑わなくても」  伊坂直人は悪びれもせず、面白そうに笑い続けている。  階段を降りてくる複数の足音がして、キッチンから瞳子さんと正樹さんが姿を現した。 「ごめんなさい、出迎えられなくて。あら、ふたりとも仲良くなってますね」 「ほんとだ。直人くんはきっとへそ曲げるだろうと思ってたんだけどな」  瞳子さんが口もとに手を当てて、正樹さんが首をかしげた。  あの日に咲いていた桜の花はすっかり散ってしまい、緑の葉が芽吹き始めている。 「見えた見えた。赤い風船、飛んでるね」 「でしょ、でしょ」  いまだに私は、伊坂直人という人物をつかみきれていない。  マザー・グース全集を再び開いて、お目当ての一編をぶつぶつ唱えてみる。  ヘイ、ディドル、ディドル。  私の声にかぶせるようにして、男の子と伊坂の弾んだ笑い声が響いた。  無邪気さをひりひり肌で感じ取りながら、どうしようかなあと声にはせずつぶやく。
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