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この日の放課後もディドルで手伝いだったけれど、静かに過ごすお客さんが多くバイトの伊坂も休みだったため終始穏やかに時間が流れた。壁掛けの振り子時計も、心なしかいつもより眠たそうに振り子を揺らしていた。
夕食はいつも七時半に営業を終えたあとのディドルの店内で食べる。基本は私と瞳子さんと正樹さんの三人でテーブルを囲み、日によっては伊坂が気まぐれに加わる。
「お菓子作りの日、手伝いやります」
夕食の場で宣言すると、ふたりは安心したような笑顔になった。
「ありがとう瑠花ちゃん、助かるよ」
「よろしくお願いします。無理だけはしないでくださいね」
「そういえば、どうしてカップケーキなんですか?」
軽い気持ちの質問に、瞳子さんは姿勢を正すと咳ばらいをひとつした。何かを察した正樹さんが、音を立てずに箸を置く。
Pat-a-cake, pat-a-cake, baker's man.
Bake me a cake as fast as you can.
Pat it and prick it, and mark it with B,
Put it in the oven for baby and me.
(ケーキをこねて、ケーキをこねて、パン屋のおじさん
なるべくはやくケーキを焼いて
パタパタこねてチョンとつついて、Bの字かいて
赤ちゃんと私のためにオーブンに入れてね)
瞳子さんの歌うような英語に、一瞬、飲んでいたみそ汁の味がわからなくなった。
「お菓子は何にしようって考えたときに、このマザー・グースを思い出したんです。大きいケーキと悩んだのですが、食べやすさやお家での作りやすさを踏まえてカップケーキにしました」
マザー・グースは、イギリスやアメリカで受け継がれてきたたくさんの英語の詩の総称だ。日本でおなじみの『きらきら星』や『ロンドン橋』も、元はマザー・グースになる。
瞳子さんはマザー・グースを愛するあまり、大学では英文学を専攻した。
「瞳子ちゃんは本当に、マザー・グースが好きだね」
正樹さんは、瞳子さんのマザー・グース愛を鎮めるのではなく助長させている。
わかりやすい例がここの店名だ。カフェ・ディドルは三年前まで正樹さんのおじいさんがマスターを務める、喫茶のらねこという喫茶店だった。
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