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1. おひさまとカップケーキ
「小学生、ですか」
放課後、カフェ・ディドルのカウンター席にて。
分厚いマザー・グース全集を開いていた私は誘いの言葉をかけられた。
「はい。そうなんです」
瞳子さんは紅茶を差し出すと、まじめな顔でうなずいた。
「五月最初の日曜日、地域の小学生の子たちを集めてここでお菓子作り教室を開くんです。瑠花ちゃんにも手伝ってもらえるとありがたいのですが、どうでしょう」
表紙を閉じて、ティーカップを持ちつつ考える。ディドルは今の私にとってありがたい居候先だから、手伝えることならなんだってやりたい。
ただ、小学生相手ということが引っかかる。瞳子さんみたいな大人からしたら高校生も小学生も変わらないかもしれないけれど、私としては小学生は全く別の生き物だ。どう接すればいいのかわからない。
「ううーん。小学生と一緒っていうのが、ちょっと」
結局、あいまいな返事になってしまった。
「当日は何を作るんですか?」
「瞳子ちゃんのアイディアで、カップケーキだよ」
キッチンの奥に引っ込んでいた正樹さんが、焼き上ったばかりのクッキーを運びながら教えてくれた。蒸気のせいで黒いフレームの眼鏡がくもっている。
ふんわりとただようバターのにおいに、ふわぁっと鼻が広がりそうになる。正樹さんが作るものは、どれも必ず絶品なのだ。
南瞳子さんと佐野正樹さんは名字こそ違うものの、法律に認められた立派なご夫婦だ。長い黒髪をおだんごにまとめたモデル体型の瞳子さんと、眼鏡とくせ毛がどことなく気の抜けた雰囲気の正樹さんが並ぶと瞳子さんのほうが年上に見える。実際はどちらも三十二歳で、元々は高校の同級生だったらしい。
私は先月から、親戚であるこのふたりのもとに居候している。正樹さんと瞳子さんが一緒に営んでいるカフェ・ディドルは居心地がよくて、手伝いではない日も入り浸っている。
「あんた、まさか子ども嫌いだとか言うつもり? オトナぶっちゃってさ」
背後から伊坂に顔をのぞき込まれ、遠慮なくにらみつけた。
「伊坂、なんでこっちの話まで聞いてんの。関係ないでしょ」
さっきまでテーブル席の常連さんたちと演歌の話で盛り上がっていたはずだ。
「地獄耳だから聞こえちゃうんだよね。それに俺も当日手伝う予定だから、関係なくはないよ」
何食わぬ顔をして、伊坂はトレーを扇のように持ってあおいだ。
店長の正樹さん、副店長の瞳子さん、お手伝いの私という身内ばかりのディドルで伊坂は唯一外から来ているアルバイトだ。今日みたいに学校帰りのときは、制服のワイシャツの上から紺のエプロンをつけている。高一らしからぬひょうひょうとした立ち振る舞いのおかげで、伊坂は大学生だと勘違いするお客さんも多い。
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