第三章:指環は嵌めたまま

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「小四になると、その電車のお兄さんは左手に指環を嵌めるようになった」  白河さんは寂しそうに俯くと、胸元の金の輪を摘まんでもう片方の手の小指に嵌めた。  チェーンを通した輪は、しかし、彼女の小指には少し緩いようだ。  ふと、切れ長い瞳が再びこちらを見やった。先程とは異なる熱い潤みが震えている。 「冬休みが終わって、通学の電車にまた乗り始めたら、もうその人はいなかった」  首を静かに横に振る。  狐の尻尾じみた天然パーマのポニーテールも揺れる。 「二度と会えなかった」  胸に提げた金の環を握り締める。 「お兄さんは七年前のクリスマスに婚約したまま亡くなったんでしょ?」  半ば以上答えを確信している問い掛けだ。 「ああ」  視野の中の「綺麗な狐」の姿がジワリと熱く滲んだ。 「指環を嵌めたまま亡くなったよ」  温い雫が頬に冷たい跡を付けていくのを感じた。  何故、俺まで泣くのだろう。 「そのまま火葬にして指環もお墓に一緒に入れた」  兄貴を子供時代の美しい思い出にしているこの子にはこれだけ伝えればいい。 「義姉(ねえ)さんはまだダイヤの婚約指環を嵌めてる」  皿にはまだ半分以上残っていたが、もうすっかり食欲が収まったので席を立つ。 「じゃ」  素っ気ない言い方になったが、胸の金の指環を握り締めた相手はどこか憐れむような笑いを浮かべて頷いた。 「また学校で」  食堂を出てまたエレベーターに乗り、優衣さんの病棟のある階のボタンを押す。  俺の今の望みは死んだ兄との婚約指環を外さない彼女に寄り添って、息絶えた時に秘かに唇を重ねることだけだ。  相変わらず雲一つない水色の空をガラス越しに見せながら、エレベーターは緩やかに上っていく。 (了)
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