第三章:指環は嵌めたまま

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 七年前も、こんな表情を目にした。  兄貴の葬儀の日、本来なら一ヶ月後の結婚式に来るはずだった人たちがこぞって喪装でやって来た。  線香の匂いの立ち込める葬儀会場に集団で現れた兄貴の会社の人たちの中には、あの狐顔の女も混ざっていた。  あの女だ。  姿を認めると、腹の中がカッと燃え立った。打ち沈んで青ざめた面持ちだったが、それすら昔話に出てくる人の女に化けた狐のしおらしい芝居を見せられているようで虫酸が走った。  お前の正体なんかお見通しだ。  そう叫びたくなるのを堪えると同時に、あの女が何か優衣さんに危害を加えるのではないかという恐怖に駆られて優衣さんの傍に走った。 ――婚約者の方ですか、この度は本当に何と申し上げたら良いか……。 ――いえ、瞬さんが本当にお世話になりました。  上司らしいおじさんと優衣さんが話している間、あの女は虚ろな細い目で優衣さんの組まれた左手のダイヤモンドを見詰めていた。  俺はポケットのハンカチを取り出して、間違えて落としたフリをして隣の優衣さんの前の床に落とした。  そして、拾い上げる瞬間、おやという顔でこちらに目を向けたあの女に向かって目を細めて唇をすぼめた。  相手は一瞬、訳が分からなかったようだが、次の瞬間には総毛立った表情に変わった。  俺は後は泣いているフリをしてハンカチで顔をひたすら拭っていた。 ――ちょっと、失礼します。  初めてこの女の声を聞いた。  優衣さんに似た澄んだ声だなと思う内にも早足でその場を去っていく。  帰れ、二度と俺らの前に現れんな、狐女。  心の中で罵倒した瞬間、くるりとあの女が振り向いた。  それは後悔と恐怖の半ばした、目にしたこちらの胸を突き刺すような泣き顔だった。  女の細い目は俺を見ているようでもあり、その隣の優衣さんを見ているようでもあり、もっと後ろに飾られた兄貴の笑った遺影を見ているようでもあった。  だが、それはほんの数秒で、すぐに波打つ黒髪の背を向けて立ち去った。  優衣さんを見やると、表情の消えた面持ちで立っていた。  線香の匂いが立ち込める中、その姿が正体を自ら明かして一人吹雪の中に消えていく前の雪女のように見えたのを覚えている。
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