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英雄譚から消えた、ある一人の勇者が辿り着いた真実
“この世界には、魔物を統べる王……魔王がいる。”
“魔王は魔物たちを統率し、人間たちを攻撃している。”
“そう、奴は魔物たちを使役して、この世界を、そして我々人間を蹂躙し続けているのだ。”
“先日も、魔物たちの襲撃によりひとつの街が壊滅した。”
“多くの人間がまた、奴の犠牲になったのだ。”
“魔王討伐に向かった他の勇者たちは、誰一人帰っては来ていない。”
“それでも……魔王を討ち倒すには選ばれし勇者の力が必要なのだ。”
“戦士グランヴィル・エインズワースよ。”
“お前もまた、選ばれし勇者。”
“必ずや、魔王を倒してくれたまえ。”
*
俺は、夢を見ているのだろうか?
「パパっ!」
「どうしたルフス、またお兄ちゃんたちにいじめられたのか?」
「今回は負けなかった! ルフス、反撃した! いじわる兄ちゃんたちの尻尾に火をつけた!」
「そうか、ルフスは強い子だな。でも、お兄ちゃんたちとはちゃんと仲直りしたのか?」
「ママにやり過ぎだって怒られた。“ルフスの気持ちは分かるけど、火傷をするのは痛いのよ”って」
「流石は火竜の女王コロルだな」
「だからルフス、ちゃんと兄ちゃんに謝った! 痛いことしてごめんなさいって謝った!」
「そっか。ルフスは本当に純粋で素直な子だな」
「パパ。頑張ったご褒美に、甘えてもいい?」
「ふふっ。良いよ、おいで…………」
慈愛に満ちた笑みを浮かべ、子供とはいえドラゴンを愛しそうに抱き上げる穏やかな青年。
その腕に抱いているのは確かに魔物。
しかし…………。
俺は……思わず呟いてしまった。
「お前が…………魔王、なのか?」
ドラゴンの子供を抱いた青年が振り向き、首を傾げる。
「勇者?」
「あぁ、そうだけど……」
その言葉を聞いた途端、青年の腕の中のドラゴンの子供が吠えた。
「勇者知ってる! パパをいじめに来る奴だってママが言ってた! ルフス、パパのこと守る! 勇者の尻尾を焦がしてやる!」
青年はドラゴンの言葉に吹き出した。
「パパ酷い!」
「ごめんごめん。でも、勇者に尻尾はないかもなぁ」
「あ、そっか!」
「ルフスの気持ちは嬉しいよ、僕を守ろうとしてくれてありがとう」
青年はドラゴンを撫でる。
「でも、僕は大丈夫。この勇者は、僕をいじめるような人ではないから」
「でも…………」
「それに……ルフスが思ってるより、僕は強いよ」
青年の言葉に、ドラゴンの子供は瞳を輝かせる。
「知ってる! パパは本当はすごく強いって、ママが言ってた!」
「うん、だから安心して。…………ルフスはコロルの所に戻りなさい」
「また、後で来てもいい?」
「もちろん。大歓迎だよ」
穏やかな表情で魔物を諭し、撫でる青年。
魔物は心配そうに……でも素直に青年に従って空へと羽ばたいていった。
ドラゴンの子供が去ったのを確認すると、青年は俺を見る。
「君は最高ランクの勇者だね。この領域にまで入れる勇者が存在するなんて思わなかったよ」
青年は微笑む。
微笑むが、何を褒められたのかがわからない。
何故なら……。
「俺はこの城に入って、一度も戦っていない」
そうなのだ。
魔王の城に入ってから、俺は一度も戦闘をしていないのだ。
魔物の気配もなく、本当に此処に魔王がいるのかと、俺は半ば疑って此処まで歩みを進めて来た。
「戦闘の技量の問題じゃないんだ。並みの勇者なら、僕の領域に足を踏み入れただけで行動不能になってしまう」
「……トラップのようなものはなかったぞ?」
「ないよ、そんなもの」
青年はクスクスと笑う。
その顔に醜悪さはない。
むしろ、聖母像のように慈愛に満ちた笑顔だ。
「なぁ…………お前、本当に魔王なのか?」
「そうだよ。確かに、君たちが“魔王”と呼んでいる存在だよ」
青年は躊躇なく、そう答える。
「とてもじゃないが、この世界や無抵抗な人間を蹂躙する奴には見えねぇ…………」
「そりゃそうだよ。だって僕に、この世界や人間を蹂躙する気なんてないもん」
「…………は?」
「だって僕はこの世界も、人間たちも愛しているから。愛しているモノを、蹂躙なんてできない」
「……お前、魔王だろ?」
「そうだよ」
魔王を名乗る青年の言葉に淀みはない。
嘘はないように感じる。
感じるが……。
「今回の勇者は本当に変わってるね。今までの勇者なら、僕がルフスと……魔物であるドラゴンの子供と戯れてる時点で魔王と判断して斬りかかってきたのだけれど…………」
青年はおっとりとそう、口にする。
そのあまりの敵愾心の無さに、正直……拍子抜けしてしまう。
「俺は名誉や快楽目的で勇者やってる訳じゃねぇ。あんな穏やかな表情浮かべた奴に問答無用で斬りかかれるわけねぇだろうが」
「でも、“魔王”だよ?」
「だから、本当に“魔王”なのか?」
青年は再び笑みを浮かべた。
けれど、今度は……そう。
悲しみを秘めた、諦めの笑み。
「そうだね…………簡単に説明するなら、僕は本来“神”に属する存在だ。だから僕は、この世界を愛しているし、人間もまた愛しく思っている」
「“神”!?」
想像もしていなかった言葉に絶句する。
「だけど、君たちの信仰する“神”や、その“神”を信仰する者たちにとっては、この世界に“神”が二柱も存在するのは…………都合が悪いだろう?故に、僕は“魔王”とされた」
青年は諦めの笑みを浮かべたまま、小さな溜め息を吐く。
「君たちの信仰する“神”からしたら、信仰が割れるのは都合が悪い。この世界の人間全てを従属させ、その上に君臨することが不可能になるからね」
「…………」
「人間にしてもそう。民を従わせ、国家や世界の秩序を守るには共通の“悪”が必要。例えば……」
青年が空中に右手の指先で紋様を描く。
すると、4つの白いチェスの駒が青年の左の掌に現れる。
青年はその4つの駒を、俺に手渡した。
俺は掌の上の、4つの白いチェスの駒に目を落とす。
「意見も考え方も価値観も全く違う4人がいる。当然争いが起きる。この争いを手っ取り早く終結させるにはどうすればいいか……」
今度は黒い駒が、青年の掌の上に現れる。
「共通の“悪”、共通の“敵”を作ればいい。その共通の“悪”、共通の“敵”を倒すために意見や考え方、価値観が違う4人は協力する。この4人が4つの“国家”だとしたら、取りあえず“国同士の戦争”はなくなり、世界は平和になる」
青年は、黒い駒も俺の手の上に乗せた。
「こうして、この世界の人間たち共通の“悪”であり“敵”となったのが僕だ。僕自身に人間に対する悪意や敵意が本当にあるかなんて、関係ない。だって実際、僕を“魔王”とすることで国家間の戦争はなくなり、ほとんどの人間が君たちの信じる“神”を唯一神として信仰しているだろう?」
俺は驚き、目を見開く。
それでは、目の前の青年はただの哀れな人身御供だ。
「“魔王”に貶められても、僕が“神のようなもの”である事には変わりはない。殆どの勇者は、この城……僕の神域に足を踏み入れる事で僕の神威に触れ、行動不能に陥る。君みたいに僕の前に立てる者は、また別の“神”か、精霊や妖精なんかの血を色濃く残しているんだろうね」
「じゃあ、今まで魔王討伐に向かった勇者たちは…………」
途端に、青年が悲しげに目を伏せた。
「誰も僕が“神のようなもの”だなんて思わない。僕の神威に触れて行動不能に陥った勇者たちは、『魔王の城の禍々しさに臆し、逃げ帰った臆病者』と自身を蔑むんだ……勇敢で真面目で正義感が強い者なら尚更」
確かに、俺も此処まで入ることができなかったら……青年の説明を聞かなければ、『魔王の城に入った途端足がすくみ、使命を投げ出し逃げ帰った』と自分を責めただろう。
「自責の念から、自らの命を絶つ勇者も多かった」
「…………」
「それに、君たちの国は、国民は、魔王討伐から逃げ帰ってきた勇者を……受け入れることができるの?」
「…………え?」
「逃げ帰ってきた勇者に何の偏見も抱かず、国民として再び温かく迎え入れることができるのかな?」
「それは……」
……難しいだろう。
国民の多くは、勇者の歩むその道程を知らない。
彼らが知るのは、その“結果”だけだ。
逃げ帰った勇者が、その道程でどれだけ鍛練を積んでも、どれだけ善行を重ねても、それらの功績を知る事はない。
彼らが知るのは、『勇者の癖に臆病風に吹かれ、使命を投げ出し逃げ帰ってきた』その結果だけ。
「自害しなかった勇者も、故郷や国には帰れなかった。彼らの多くは、そのまま流れ者となった」
「…………」
「勇者が帰らない国は、“勇者は魔王に倒され、無惨に殺されたのだろう”と国民に説明する。新たな犠牲者の誕生に国民は更に魔王を恐れ、そして憎む。これが負のループを生む」
「…………」
「けれど、“倒すのが困難な悪”は、国の統率者たちにとっては都合が良い。その悪が倒れない間は、国家間の戦争を避ける事ができるから。そして僕が“魔王”として憎まれれば憎まれる程崇拝の対象となる君たちの“神”にとっても、この状況はとても都合が良いんだ」
青年は淡々と、衝撃的な事実を語る。
混乱する頭を押さえ、俺は青年に問いかけた。
「それなら魔物は何だよ?ついさっき、お前はドラゴンの子供と戯れていた。それはこの目で見た紛れもない真実だ。お前があいつらを洗脳して、人間を襲わせているんじゃねぇのか?」
「僕がそんな事をするような邪悪な者に見えていたら、君は躊躇いもなくその剣を僕に振り下ろしていたと思うけど?」
「それは……」
青年は、さっきドラゴンの子供が飛び去った空を見上げた。
「君たち人間は、別の人間が刃を振りかざして襲いかかってきても、無抵抗のまま受け入れるの?それが“気持ち悪い”とか“おぞましい”とか“見ていて不快”だとか、理不尽極まりない理由であっても、君たち人間はおとなしくその殺意を受け入れるの?一切の抵抗をすることなく?」
「…………っ!!」
「同じことだよ。君たち人間が“恐ろしい”“気持ち悪い”“おぞましい”という理不尽な理由で彼らを排除しようとするから、彼らも抵抗する。それが何度も何度も繰り返されるから、彼らも人間たちに敵愾心を抱く。……きっかけは僕でも彼ら魔物でもない。君たち人間の方だよ」
今まで信じてきた全てが覆された。
掌からチェスの駒が転がった。
俺自身も……膝から崩れ落ちそうになった。
だが……。
「大丈夫?」
俺が冷たい床に崩れ落ちることはなかった。
青年が支えてくれたのだ。
青年は、質素ながら質の良い椅子に、俺を座らせた。
「……あ、ありが…………」
礼を言いかけたが、青年の方が首を横に振り、ごめん……と、謝罪の言葉を口にした。
「最初から、座ってゆっくり話すべき内容だった。それに、君が長旅で疲れているってわかっていたのに。本当に、ごめん」
確かに、彼は“魔王”なのだろう。
少なくとも、俺たちがそう認識している存在だ。
違ったのは、“魔王”が“悪”で“敵”であるという、俺たち人間の……。
「でも、君はこれからどうするの?こんな話、人間はきっと、誰も信じない。もし安易に口にしたら、君は……」
処刑、されるだろう。
俺の言葉は……彼の言う通り、きっと誰も信じてはくれない。
人間にとって、多数派が“正当”で少数派が“異端”だ。
俺が声高に真実を訴えても、俺は魔王討伐に失敗した挙げ句、魔王に洗脳され狂った異端者として処刑されるだけ……。
「僕は、もう君たちが自決する所を見たくない。君たち勇者だって、僕の愛する人間の一人なんだ」
「…………」
かといって、こんなにも慈愛に満ちた“魔王”を、もう俺は倒せない。
倒せる筈がない。
「もし、君がよければだけど……」
「…………?」
「此処で一緒に暮らさないかな?」
「此処で?」
「うん、此処で」
青年は再び、柔らかな微笑みを浮かべる。
「ルフスたちは可愛い。一緒にいるのも楽しい。……でも僕は、一緒にチェスをして遊べるような友達が、実はずっと欲しかったんだ」
青年のその微笑みに、邪気はない。
「お前が、いいなら……」
「本当に!?」
青年の顔がパッと明るくなる。
「僕はセフィールド。魔王とか神じゃなくて、セフィールドって呼んで欲しい。僕と君は友達になるんだから」
まるで子供のような無邪気さに、俺も思わず笑顔になる。
「俺はグランヴィル・エインズワース。グランヴィルと呼んでくれ。これからよろしくな……セフィールド」
*
こうして戻らなかった勇者に、国も人間も一切の疑問を持たなかった。
『グランヴィル・エインズワースは魔王に殺された』
『また一人、勇者が犠牲になった』
そしてまた、新たな勇者候補を探し始める。
真実の扉は、永遠に閉ざされたまま……。
End.
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