VOICE

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── ──地を穿つ天の恵みは留まる事を知らない。ぽつぽつと呼ぶにはいかんせん強過ぎる勢いで、人を、木々を、建物を濡らしていく。そんな校庭の真ん中。人気などあろうはずもないそこで傘を差すこともせず、海里は茫洋と空を仰いでいた。加減無く頬を叩く雨粒も部活動終わりで火照った身体には心地良い。海里は全てに煮詰まった時に意味も無く、意義も無く、季節を全身で感じるのが好きだった。 そして今、海里の思考の大半を占めているのは── 「あ」 容赦無い雨音の中、小さな声が聞こえた。 白く煙る景色に目を凝らすと、黒い傘を差した人影がこちらに向かって駆けてくる。海里は前髪を掻き上げて傘の主が誰なのかを判断しようと試みた。 「──時雨ちゃん?」 「何してるの、一ノ瀬くん」 「見ての通り」 「見ても私の理解の範疇外だから聞いてるの。そのままじゃ風邪引くよ、早く中に入ろう」 声の主──嶋津時雨は雨で冷え切った海里の手を掴んで勢い良く走り出す。靴や制服の裾に水気が跳ねるのも構わずに、それはもう全力で。そうして海里は閑散とした玄関へと引っ張り込まれた。髪や頬から滴る雫が、床をまだらに濡らす。 「何で俺が居たのが分かったんだよ、あの時間帯なら誰も居ないと思ってあそこに居たんだけど。しかも外は土砂降りの雨だし」 「……そういえば何でだろ。何となく?」 「はは、何それ。訳分かんねえ」 眉を顰めてわざとらしく首を傾げてみせるも、そんな取り繕った姿勢は長くは続かない。海里は寄せた眉はそのままに屈託の無い笑い声を上げた。 時雨はそんな海里を見て心配から眉間に皺を寄せる。 「一ノ瀬くん、何か有ったなら相談に乗るよ」 「なーんにも?ほら、俺にひとっつも悩みが無いのは時雨ちゃんもよく知ってるだろ」 「そうじゃなくて何かこう、……!とにかくあんな所に一人で立ってたら心配にもなるよ……!」 ──まあ、無理に隠し立てをする必要も無いか。 「……、」 問い詰める時雨の様子に観念した海里はゆっくりと瞼を伏せ、自嘲気味な笑みを口元に浮かべた。出来ることなら目の前の少女に今から語る話を馬鹿だと言って笑って欲しい。酷い男だと詰って欲しい、と──決して口には出せない願いを込めながら。 「……いや、な。俺さぁ……ガキの頃に喧嘩別れしたっきり会えてねえ女の子が居るんだよ」 「──……え、」 唐突な言葉に、時雨の表情が曇る。 「その子の家の引っ越し当日に、そいつが転校していくって聞いた時には俺は酷え面でひたすら泣き喚いてて。行くな、行くな、あいつにまだ謝ってねえんだよって母さんにずっと言ってんの。頼むからあいつに会いに行かせてくれって」 「……」 「まあ知らされた時間も時間だったし、その願いは叶うはずもねえよな。結局そいつには謝れないままでさ。……だから瑠衣を見てると心配になる」 「凪島くんを?」 「そう。八宵ちゃん相手に限らずアイツは口が悪いし取っつきづらいけど、悪い奴じゃない分周りに誤解を受けてんのが見てらんねーってか……誤解を受けたまま来るべき時が来てはいサヨウナラ、なんて本人も周りも嫌過ぎるだろと思って」 「──」 絶句──もとい、神妙な顔で耳を傾ける時雨に気付くと海里は何でもないことのように片手を振る。 「だからまぁ、瑠衣には悔いのないように日々を送って貰いたいってこと。二度と手が届かないのに誰かの事を思い返しては落ち込むような真似、友達にはさせたくねえじゃん?あ、俺今ちょっと良い事言った」 言葉の終わりを冗談で結んでみせると時雨の形の良い眉が片方跳ね上がるのが分かった。薄く開いた桜色の唇が無意味に開閉を繰り返し、適切な言葉を探すように視線がしばらく宛もなくさまよって──深いため息と共に床へと落とされる。 「……今のでマイナス三万点」 「はぁ!?それは流石に酷くねえ?……でもまあ、さっきは来てくれてサンキュ。時雨ちゃんのお陰でちょっと元気が出たよ」 ──呟いて、海里は笑う。まるで過去のしがらみになど囚われていないかのように。友の幸せを愛する自分の軸をなににも揺るがされることも無いように、唇を弓なりにたわめて、優しく目を細めてみせた。 『──そんなわけないだろ?』 ……黒い雨の降り続ける心の奥底で、声が聞こえる。 顔がはっきりと見えないその声の持ち主は、暗がりで座り込む海里の軟派に伸ばした髪を引っ張り、泣き腫らしたあとのようなうつろな目でこちらを見つめ問い掛けてくる。 『おまえは半端者だ』 『過去の後悔に区切りをつけず、あろうことかともだちをじぶんに重ねてる。あのこはおまえとは違う、あのこは──』 「──あー……」 「……?」 ……海里は雨音が鳴り止まぬ外に向けて視線を投げると、顔を覆って天を仰ぎ呻き声を上げた。時雨は先程雨に濡れたことが堪えたのではないかと気遣わしげに問い掛けてくる。 「一ノ瀬くん、やっぱり体調が悪いんじゃ──」 海里はその問いを片手を上げて制する。油断をすれば余計な言葉が口を突いて出てきそうだ、あと少し、あと少し耐えてやり過ごそう。他愛の無い話でもしていたら胸を突く痛みも少しは収まるだろうから。 「いや、このままさ、」 「──……うん」 「この雨が止まなけりゃいいのにな、と思っただけ」
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