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2−1
果たして、あの街にひまわりは咲いていただろうか。
七月だった。それも、もうすぐ夏休みに入ろうかという、学生が一番浮かれる時期だった。市内の市民プールが開き、そこでバイトができるという話を聞いた数人の生徒は、先生にバレないように学校で履歴書を書いていた。部活動に熱心である大半の生徒たちは、小遣い稼ぎよりも己を磨くために汗を流す選択を取った。
しかし、僕はそのどちらにも属さなかった。あの頃の僕は小遣い稼ぎにも興味が持てず、部活動には戻らなかった。一年の終わりまではワンダーフォーゲル部という、いわば山登りをして親睦を深める活動をしていたが、冬に登った筑波山で足を痛めたことを理由にして、それ以降は参加しなくなった。
終業式の日。多くの生徒が「夏休みにどこ行く?」なんて話で盛り上がっていた。だけど僕は、この気怠い夏休みをどう過ごすか、それすらも考えていなかった。課された宿題を無気力でこなし、暇つぶしのために家事を手伝う以外はほとんどやることもない。おそらくダラダラと過ごして、そのうち九月がやって来る。いつの間にか蝉が鳴くことを止めて、命は絶たれ、干からびていく。プールからはスッと人がいなくなり、かき氷の季節は呆気なく終わる。青々とした緑葉は徐々に紅葉へと退化する。それを横目に、僕はただ生きているだけだろう。
つまり高二の夏までの僕は、生きる上で必要不可欠なテーマがなかった。
「大島くん、ちょっといい?」
だから夏休みが始まる直前、僕は図書室からの帰りに、同じクラスである長浜さんに呼び止められたが、僕にとってはそれも一つの日常に過ぎなかった。
「長浜さん、どうしたの?」
不思議には思った。僕と長浜さんは同じクラスではあったが、接点はほぼ皆無だったからだ。混じり合わない絵具のように、僕らはそれぞれの色を持って、それぞれの活動をしているにすぎなかった。
「大島くんって、帰宅部なの?」
「いや、帰宅部ではないよ。一応ワンダーフォーゲル部には属している。ただ、足を怪我してからは行っていないから、正確には幽霊部員ってことになるかな」
「そう。ってことは、部活には行っていない。そういう解釈でいい?」
「まあ、そうなるね」
僕らは取り止めのない会話をした。すでに空になりつつあった廊下で。
「じゃあ、協力してほしいの」
「協力?」
僕が聞き返すと、長浜さんは冷静な顔をして「文化祭」と言った。
「ほら、私たちのクラスはお化け屋敷をやることになっているけど、夏休みからある程度は準備をしておかないと、文化祭に間に合わないから。お化け屋敷用の小道具とか買ったり、迷路に必要な段ボールを集めたりするの。そもそもどんなお化け屋敷にするべきか、その辺りを考えてクラスのみんなに知らせないと始まらないし。ほら、私は文化祭実行委員だから。でも、私と敷島さんだけでは大変だから、何人かに協力してもらいたいなって思って。それで大島くんに声をかけたわけ」
「文化祭のクラス委員はそこまでやるのか。大変だね」
あまり感情を込めずに言った僕に、長浜さんは控えめな笑みを浮かべてみて、「大変」と言った。
「今のところ、デザインとか上手な鈴木さんには話をしてあるんだけど、もう一人くらい、できれば男子が欲しいところなの。だから協力してくれる? 無理にとは言わないけど」
正直、夏休み中に学校へ来るのは面倒で、加えて暑さに侵された街に出るのは億劫だった。とはいえ、目の前で誘われてしまった以上、理由なしに断るのは気が引けた。
「わかった。協力するよ」
そう言い切った後で、僕は少し後悔した。
「ありがとう。一人でも男子がいると助かる」
それからすぐに、長浜さんは少しだけ僕に近づいて、「じゃあ、明日の十時にクラスに来てくれる? ほら、話し合いをしたいから」と言った。淡々とした声で、特に感情はこもっていなかったが、使命感は強く感じた。
「わかった」
「じゃあ、よろしくね。後、ざっくりでいいからどんなお化け屋敷がいいか考えておいて」
「うん」
長浜さんは早歩きで僕の横を通り過ぎ、静かな廊下に足音を残しながら去った。
僕はイベントが好きではなかった。だから文化祭などどうでもいいと思っていて、お化け屋敷をやることが決定しても、興味も関心も抱かなかった。できれば傍観者でいたいとさえ考えていた。それが実行委員側になってしまうとは想像できなかった。それでも長浜さんの真っ直ぐな目を見てしまったら、僕はイエスマンにならざるを得なかった。
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