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 帰り道、僕は偶然出会った蒲生というワンダーフォーゲル部の男と一緒に駅まで歩いた。蒲生はラグビー部くらいガッチリした体型で、うねった髪が特徴でもあった。普段から筋トレをして鍛えているらしく、ワイシャツの下からでも筋肉がもっこりと盛り上がっていた。そんな蒲生と僕は友達で、特に蒲生は僕のことを気にかけているのか、会うとよく話しかけてくれた。 「蒲生は相変わらず立派な肉体だね。なんでラグビー部じゃないのか、不思議 なくらいだよ」 「まあ、俺は山登りが好きなだけだからな。ラグビー部に入りたいとは微塵も思わん。それに痛いのは嫌いだし、争うのも嫌いだ」 「つまり、ボールは友達じゃない」 「まったく。むしろ犬猿の仲だな」  目の前の信号機が赤色に変わり、僕らは足を止めた。首筋に一粒の汗が流れて痒くなる。しかし蒲生は僕の何倍も汗をかいているのに、まったく気にもしていない様子だった。むしろ汗を出すことを望んでいるようでもあった。 「今年の夏は、長野の木曽の方にある山に登る予定なんだ。大島、お前も来いよ」  蒲生はことあるごとに僕をワンダーフォーゲル部に誘った。正確には、僕を引き戻そうとした。だけど僕には忘れられない嫌な思い出があるから、頑なに拒絶した。 「僕は行かないよ。足も悪いし、そもそも真夏に山を登るのは暑いから嫌だね」 「でも、長野は涼しいぞ。それに景色だって素晴らしい。空気も美味い。こんな湿っぽい街に比べたら、天国みたいなもんだ」 「天国なんて行ったこともないくせに、よく言えたもんだね」 「それはそうだな。でも、その比喩は正しいと思うぞ」  蒲生は僕のことをワンダーフォーゲル部に戻そうとしている。それが顧問から言われているからなのか、単純に僕を仲が良い友人だと思っているからか、その辺りは僕もわからなかった。だが、この蒸し暑い夏の日に、滝のように汗を流す筋肉質な青年が僕を必要としてくれているのはたしかだった。しかし、僕は蒲生の期待に応えることができなかった。  僕が黙り込むと、蒲生は澄んだ声で言った。 「まあ、気が変わったらいつでも言えよ。そのときは俺から前田先生に話をしておくからさ」  僕の心の中で渦巻くのは、蒲生の優しさと嫌な記憶だ。善良と醜悪が混ざって、やがて見たこともない色が僕の脳内に広がって、どうしようもなくなる。そして僕はまた、蒲生の期待を裏切ってしまう。しかしそうでもしなければ、僕は自分自身を守れそうになかった。 「そんな日が来るといいね」  駅のホームで蒲生と別れて、電車に乗って家へ着く頃には、太陽がすっかり西へと傾いていた。  家の付近で、僕は立ち止まり、その場で左足を持ち上げてみた。脹脛からかかとにかけて、今でもわずかに痺れるような痛みが残っている。後遺症だ。僕は足を下ろしてアスファルトにつけて、薄くなった青色の空に目を向ける。どうやら僕は、冬に登った筑波山で青春を落としてしまったらしい。その青春は傾斜を転がり、行方不明になった。だからもう見つけることはできない。  僕は不自然に熱くなった唇を舌で舐め、しばらく空を見続けた。しかしもうすぐ藍色に変わる空に、星の姿は見当たらなかった。  
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