「庭に向日葵を植えないで」

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──近所に住む歳の離れた女性。彼女の家は築年数を見た目から推し量るには難しい、造りは昔ながらの邸宅だが隅々まで手入れの行き届いた建物だった。あの家に現代建築の手を入れたならばさながら「古民家風カフェ」に生まれ変わりそうなくらいには素敵な家だったことを覚えている。庭も広く、季節に応じて毎年欠かさず様々な花が植えられていた。 だが、私にはひとつだけ疑問に思う事があった。 「何でひまわりを植えないの?」 「理由を聞いてどうすんのさ、それ」 夏の代表とも呼べるであろう向日葵。青空の下、大輪の花が庭に咲き乱れるさまを想像するだけでも心が躍るというのに。彼女はなぜか、頑なに向日葵だけは庭に植えようとしなかったのだ。 「絶対に映えると思うんだけどな〜……」 「ハイハイ、この話は終わり──あ、ちょっと待ってて。良かったら麦茶でも飲む?」 「飲む!庭仕事も好きだけど、やっぱり暑さには勝てないからなぁ」 「──了解。はい、どうぞ」 歳が離れているとはいえまだまだ若い家主との無意味な論争を繰り広げていたものの、その声が一旦奥まった場所に引っ込んだかと思えば、数分ののちに二人分の麦茶を手に戻ってくる。私は目を輝かせてその申し出に飛びついた。よく冷えたそれを受け取ると大きめの氷がコップの縁に当たり、からからと涼やかに笑うような音を立てる。 「……そういえば君は向日葵の花言葉、知ってたっけ」 ……束の間の涼を取る最中に投げられた唐突な問い掛けに、私は戸惑いながらも頷いた。 「あなただけを見つめている、だったよね」 彼女は私の答えにうっすらと笑みを浮かべた。 「そうそう。太陽に向かって咲くことから花言葉になったとか、なんとか。これは諸説有るだろうけど」 「でも、それがどうかしたの?」 私の問いに彼女はその笑みを深めた。吊り上げられた口角がその力に耐えかねて震え、無理に作られた笑みだということは言わずとも見て取れる。 「……ねえ、どうし──」 様子がおかしい事に気付いた私が手を伸ばそうとするも、彼女はそれを跳ね除けた。 「っ、!」 「──そう、『みている』んだよ、ずっと」 ようやく口を開いた彼女の顔は長い睫毛に縁取られた眼を限界まで見張り、黒いガラス玉のような大きな瞳をその最奥まで見せるがごとく惜しげもなく陽の光に透かしていた。怯えた声音に反して無機質な声が、容赦なく鼓膜を打つ。 ぞわ、と、私の背筋が粟立った。 「──……!」 彼女は嗤う。全てを見識った笑みで。 「夏が終わって種を成してから枯れ落ちても、冬が来て地面が束の間の眠りについても、ずっとずっと『こっちをみている』んだ」 生温く湿った風が、二人の間を吹き抜ける。 「何もしない、何も言わない。ただ『みている』」 「ずーっと、ずっと、『みている』」 ──そこで、私はふと、気付いてしまった。 この家はいつもどこからか、視線を感じる。 それも視線の主はひとつじゃない。 「ねえ、君は考えた事がある?」 「花としての生を全うするまで、愛をたくさんたくさん注がれて育った向日葵は」 『いったい「何を」見つめているんだろうね?』
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