雨音は続く

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   水の音で目が覚めた。  いつもより遅い朝なのに、部屋の中は薄暗い。 少し開いた窓の隙間から、車が水を跳ねながら走って行く音が聞こえる。カーテンを開けなくても天気がわかった。 週末の予報はずっと雨だとは聞いていたが、やっぱり()の当たりにすると憂鬱になる。 晴れてたら それだけで楽しいのに 雨も嫌いじゃない。 だけどこんな時は、気だるさを簡単に加速させるその力に流されてしまう。 隣に寝ていた背中は、いつの間にか着替えている。 スマホと財布をジーンズのポケットに押し込みながら、彼が私に尋ねてきた。 「牛乳切らしてた。コンビニ行くけど、何かいる?」 「…ううん。いい」  玄関のドアが閉まると、私はため息をついた。 付き合って三年。 今年の春、彼が転勤になって、私たちの遠距離恋愛が始まった。週末にどちらかが行き来するのだが、二週続けて会っていなくて、私がここに着いたのが昨日の午後だった。 今日はもう日曜日だ。 彼の仕事が立て込んでいるらしかった。 久しぶりに 会ったのにな 『ごめん。昨日あんまり寝てなくて…』 眠る前に、彼は申し訳なさそうに言った。 それから私にキスをして抱きしめてくれた。 今日の夕方には、帰らなきゃいけないのに。 昨夜(ゆうべ)何もなかったら いつ期待すればいい? お風呂上がりに、買ったばかりのキャミソールを身に着けた時のことを思い出した。この肩紐(かたひも)に彼が指をかけるのを想像して、頬を赤くしていた自分がひどく滑稽(こっけい)に思えてくる。  スマホの通知音が鳴った。 彼からメッセージが届いている。 『君の好きなアイス買ってくよ。キャラメルとチョコレート、どっちがいい?』 子どもじゃないんですけど まだ不機嫌な私は、少し意地悪してやりたくなった。 『両方』 すぐに返ってくる。 『了解』 スマホを布団の上に投げ出して、ベッドに寝転んだ。 Tシャツの中で肩紐がずり落ちて、二の腕にかかる。宙ぶらりんな私の気持ちみたい。 思いきり伸びをして息を吸い込んだ。使いなれた自分の家のものと違うシャンプーの残り香が、ふわっと鼻先をかすめる。 彼と同じその匂いに包まれて、少しだけ幸せな気分が戻って来た。まるで、彼が優しくご機嫌伺いをしているようだ。 ドアの鍵が開いて、雨の音が一瞬だけ強くなる。傘の雫を払い、コンビニの袋を下げた彼が帰って来た。 「アイス食べる?」 「後でもらう」  キッチンで冷蔵庫を開ける音がする。 …私から誘ったら 引くかな 疲れてるみたいだし でも 私だって彼に触れたい 急な思いつきに、ひとりでドキドキしながら行動に移せないでいると、彼がまっすぐに私の方へ向かって来る。ベッドに手をつくと、顔を近づけて優しくキスをした。 まだ自分から切り出す勇気はなかったが、彼が離れていかないように、私は彼の背中に手を回した。 「ごめん。お待たせ」  彼の右手に握られた小さな箱に、私は気がついた。 「君が来るのに、いろいろと準備不足で」 「…今から?」 「うん。だって、ずっとこうしたかったから」  はにかんだ彼が、私をぎゅっと抱きしめた。 さっきと同じシャンプーの香り。私も腕に力を込めて彼を抱き寄せた。 牛乳は、カフェオレを飲む私のため。アイスも。 そして… 「機嫌、直った?」 「…どうかな」  言いながら、口元が緩むのが自分でもわかる。 彼もそれに気がついている。 「じゃあ、ここからも気は抜けないな」  今日の天気予報は傘のマーク。 車で出かける予定も立てていたけど、半日ぐらいをベッドの中で過ごすのも悪くない。のんびりブランチにして、アイスもシェアしよう。 さっきまでのため息もどこかに、心の中で私は空に呼びかけた。 今日はずっと降っててもいいよ それに呼応するかのように、少し強くなった雨の音を聞きながら、私たちはまたキスを交わした。
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