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2 桜
しばらく、楓の形見のグローブを両手に抱えたまま、その場から動けずにいて――。
「桜。また来いよ」
夏樹の声で、意識を呼び戻された。
桜はすでに扉の近くに立っていて、冬馬が声をかける前に、廊下に消えていった。
「あー、最後までお父さんって呼んでくれなかった……やっぱり、嫌われてるのかなぁ……」
悲しそうに呟いた夏樹のことは無視して、冬馬は手元のグローブに再び目を落とした。
楓が事故で亡くなったのは、半年前だと言っていた。奇しくも、自分が試合で骨折した頃と時期が重なる。
母を失ってからの数か月、桜はどんな気持ちで過ごしてきたんだろう――。
先日の事件で、夏樹が死ぬかもしれないと思った瞬間の思いは、言葉では表せない。そこにいて当たり前の存在は、そのままいてくれないと困るのだ。
親子とはいえ、こんな面倒な父親、いらないなんて思ったこともあるけれど――自分がいかに父に頼っているか、初めて心に刻みつけられることになった。
自分がいて、家族がいて、そこにはじめて幸せのようなものがある――そんな気がする。
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