涙を買い取るコーヒー店

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涙を買い取るコーヒー店

「それでは、涙二十グラム、二十円にて確かに買い取りいたしました」  店主の言葉に私はうなずき、窓から伸びる手から二十円を受け取った。夜明け前のぼんやりと明るい空の下で、二枚の硬貨を確認する。  信じられないことだが、この店では本当に涙を買い取っているらしい。涙一グラムにつき一円。今日、私がコップに溜めて持ってきた涙は二十グラムになった。その結果、昨日の夜から今朝まで続いた私の涙は二十円という通貨に変わった。 「本当に買い取ってもらえるなんて思いませんでした」  自分のものとなった二十円をまじまじと見ながら、私はつぶやいた。目の前には、切符売り場よりも小さな窓がある。店主は窓の向こうにいて、顔は見えないが微笑んでいるようだった。 「うちでは涙は大事な隠し味なんです。おいしいコーヒーを作るために欠かせません」 「どうして涙がおいしいコーヒーに必要なんですか」 「詳しいことは言えませんが……涙から抽出した特別なエキスが、コーヒーの味に深みを与えてくれるんです」  でもこれは誰にも言わないでくださいね、企業秘密というやつですから、と店主は私に念を押した。 「もし良かったら、いつかうちのコーヒーを飲みに来てください。涙を売ってくださった方には、一杯無料のクーポン券をお配りしています」  店主の腕がもう一度窓から伸びてきて、私の前に一枚の紙を差し出した。 「コーヒー屋は昼からなので、嫌でなければ、ですが」  そう言ってくれる店主は、きっと優しい人なのだろう。私は紙を受け取って眺めた。『本日のおすすめコーヒー 一杯無料券』と書いてある。営業時間は午前11時からのようだった。 「ありがとうございます。いつか伺いたいと思います」  店主の手前そう言ってみたものの、正直に言えば昼のコーヒー店に行こうという気持ちにはなれなかった。最近出来たばかりの、テイクアウト専門の人気コーヒー店である。幸せそうな笑顔の人々が溢れているのだろうと思うと、私の気持ちは途端に沈む。 「無理して来ようとしないで良いんですよ。いつか来たいと心の片隅で思ってもらえたら、それで十分です」  店主の言葉は、まるで私の気持ちを知っているかのようだった。きっと同じようなお客が、他にも大勢来ているのだろう。 「私も、いつかここを続けることが無理だと思ったときには、やめるつもりです」  ぽつりとつぶやいたその言葉に、今までかけらも見えなかった店主の寂しさが垣間見えた。今の私には、この人を慰める言葉は言えなかった。  帰り道を歩いていると、徐々に日が昇ってきた。まぶしい朝日の中で、もう一度あの券を見た。 『本日のおすすめコーヒー 一杯無料券』  いつか飲んでみたいと思ったときには、あの店主はもう店をたたんでいるかもしれない。勇気を出して、行ってみようか。幸せそうな人々の姿を見るのはつらいけれども。今まで出歩きたいとも思わなかった昼の時間に、私の涙が入っているかもしれないコーヒーを飲む。悪くはない行動だと思えた。いつか、ではなく、二、三日のうちに、心を決めて行ってみよう。
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