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「……し、失礼すぎます」
感情が過敏になっていた私に、ごめんごめんと軽い口ぶりで男は謝罪する。
「俺が今、こういうことを松木にした反応も、ありのままに書いていくのが私小説ってもんじゃないのか?」
先ほどまで笑っていた男の気配が、ふと真剣になった。
「おじさんたちの恋の話なんて、誰も読みたくないはずです。ましてや私の話など……」
半分本音で、半分は男に否定してもらいたいが故の発言だった。
試すようなもの言いに、心苦しくなる。
「それはどうだろうか」
手にしていた紙の束を男は奪うと、私にも見えるように両手を前に伸ばし、再度束をパラパラとめくった。
それから、あ、でもやっぱりフィクションのほうがいいのか、と独り言つ。
「……でも、少なくとも俺、というか、この作品で言う『あなた』が松木のことを好きすぎたせいで、この話の結末よりも二十五年早く、俺が松木の消息を追って前に現れたっていう二人の大恋愛の事実は、やっぱり二人だけの秘密にしておきたいなあ」
シトラスの香りが近くから強く香り、あなたがゆっくりと私の肩へ顎を預けた。
長年連れ添ったことで築いた、信頼関係とともに。
ざらりとした無精ひげの感触が頬に擦れる。
夕方になると無精ひげが生えてくることを知ったのは、再会してからどれくらいで知っただろうか。
ふと随分昔のことを懐かしみたくなった。
「そうですね」
くすっと笑って私は、男の前髪を軽く撫でる。
すると、気持ちよさそうに目を細めた。
「いやん、えっちぃ」といつか聴いたことのある猫なで声で、あなたは言った。
調子に乗った男は、そのまま頭部を私の掌へと押しつけてくる。
だから、私も調子に乗って両手で頭部を撫でてみせた。
同時に、嫌味という名のひと匙のスパイスを込めてにこやかに言ってやる。
「本当は高校時代からお互い両片想いで、でもあなたは音信不通になった私に苛ついて、勢いで愛のない結婚して、バツイチになってしまっただなんてそんなこと、情けなさすぎて書いてほしくはありませんよね」
不甲斐なさからか、あなたははあ、っとため息をついて両手で顔を覆う。
「……そうだな。俺の初恋だったから」
ばつが悪そうに応えるあなたが、実はとんでもなく重い恋心を私へと抱き、ありとあらゆる伝を使って消息を追いかけるほどの執念があっただなんて、再会するまで本当に知らなかった事実だ。
そして人伝えに私が会社員を辞め、小説家になったと聞いたあなたは、一番の支えになりたい――と、下心を上手に隠し心許ない手を引っ張ってくれた夢みたいなことも。
「綺麗だったんだよ、松木を初めて見たとき。男とか、そんなの関係なくて、澄んだ佇まいというか空気感というか、儚げ美人というか……」
それよりも、と照れたあなたは話題を転換する。
照れくさそうな表情とは一転し、顎を上げて話ずらそうに重苦しい空気を瞬時に漂わせた。
甘い暴露話だったはすが突然、ぴりぴりと張りつめる。
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