前編

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 高校二年生の春、クラス替えで初めて同じクラスになった、学ランのよく似合うちょっと顔のいいムードメーカ的存在の同級生を好きになってしまった。  相手の性別は、男。  私も生物学上の性は男で、どちらかというとクラスでも影が薄く地味な当方は、自分にはない秘めたものを持つ同級生への憧憬なのだと努めていた。  きっかけは、初めての席替えだった。  いつもぼうっとしている眠たそうな顔した担任教師が藁半紙の裏で作ったくじ。   地味な私は、できれば教卓付近ではなく廊下側もしくは窓側の後ろのほうだったらいいなあ、なんて程度には軽く祈っていた。  けれどたいてい神様は私の言う通りには事を運んでくれなくて、今回もマイナスの意味でそうなるのだろうなあと、心のどこかで思っていた。  すると、「松木くん、41番」とくじを引く係を引き受けたメガネの女学級委員長が私の名前を呼んで、隣に立つ喬木のような副委員長のあなたにその紙切れを渡していた。  それからの私とあなたとの邂逅までの瞬間は、今でもはっきりと覚えている。   「うわっ! 松木が俺の隣りだ。俺、40番! よろしくな」  人好きしそうなまあまあ愛嬌のある顔が、健康的な白い歯をすこぶる輝かせながら満面の悦びを浮かべていた。  瞬間、クラス中が「松木」と呼ばれた私のほうを一斉に振り向いた。  同時に、教室中が沸く。  まるで初めて日本人が上野の動物園でパンダを見たときのような反応。  見世物になった気分だった。  おそらく私の顔はこれ以上なく熟したトマトのように、恥ずかしさで真っ赤になっていたに違いない。  新しいクラスになって三ヵ月。  私のような地味な人間が、クラスメイトに認知された瞬間だった。  そう言えば今思い返してもどうしてあのとき、あなたは私の顔と名前を一致させていたのだろうと、ずっと不思議に思っていた。  心のどこかで期待……したくはないのに、このときのことを思い返すたびに、あなたもやっぱりもしかして私のことを……などと浅ましいことを考えてしまうまでが、ワンセットで脳裏に着いて回った。  ひと目惚れなど、所詮恋愛小説のなかだけのものだ。  他人との交流が顕著ではなかったせいか、このときばかりは、とんだ恥知らずの乙女思考になっていた自分にほとほと呆れていた。  あなたは委員長から受け取ったくじを右手に、左手は空色のチョークで、机に見立てたマスの窓側一番後ろの席の端っこにデカデカと「41」と、私が引き当てたらしい――実際には、勝手に担任教師が作ってそれを勝手に委員長が簡易的に作った紙箱から引いただけの他人任せのものだったが――数字を記入した。  数字はクラスイチ背の高いあなたに似てとても大きく、ついくすっと笑みが零れてしまうような異形だったが、同時になんだかこそばゆくも感じた。  理由はわからない。  けれどその瞬間、新しいなにかが始まるような名前のつけられない淡いものが胸底に拡がった自覚は生まれていた。  あれから授業中に、こっそり貴方のノートを盗み見た。  やはりキャンパスノートいっぱいに文字が書かれていた。が、見た目の派手っぽい感じとはちょっと違う、意外にも几帳面な文字にどきっとしたことを胸の鼓動とともに覚えている。  安っぽいシトラスの制汗剤の匂いも。  それから私の視線に気づいたのか、あなたが私の頬へひとさし指を充て「いやん、えっちぃ」と猫なで声で、授業中にわざと笑わせたことも。    
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