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私こそ、若い頃に比べてなにも変わっていない。
いや、変われなかったのだ。
出逢った頃からずっと、恋情の対象には素直になれないまま。
直に赤い服で祝われる年齢だというのに、その未熟さがひどく恥ずかしい。
孔子は「五十にして天命を知る」などと言ったそうだが、いまだに私は自分の人生がなんのためにあるのか分からないままだ。
それよりも男との邂逅からずっと、私の人生はたったひとりに捉われ続けている。
我ながら重い。
しかし、目尻に深い皺を寄せたまあまあ愛嬌のある相貌が、にこにこしながらまた私を甘やかす。
「分かりやすくて可愛いらしい恋人の頭を、これから思う存分撫でるための準備だけど」
「そんな準備は必要ありません」
つれない態度の私に、おかしいなあと顎に手を当てる。
それから、四方八方舐めるように眺めてきた。
「だって俺に頭を撫でてもらいたいんだろう? 小説の最後には、そう書いてあった」
変わらず健康的な白い歯を、高校時代と同じように、男はにっと輝かせて笑った。
言葉の裏に隠した私の感情など、最初からすべてお見通しなのかもしれない。
「……いや、あくまでフィクションですから」
「私小説だと謳っているのに?」
いつの間にか私はあなたに背を向けた状態で、易々と膝の上に乗せられてしまう。
出逢った頃とは違い、今では体格差などないに等しいはずだが、元外勤の営業マンだった男は筋肉量がまるで違うらしい。
なんてことないように、私の身体を持ち上げていた。
「顔、真っ赤だ」
指摘される前に自覚はあった。
だからこそ、声に出されたことで余計に恥ずかしくなる。
「違います。今日が暑かったからです」
「へえ。今は冬だけど」
疑り深い目を向けられる。
「暖房が暑かったんです。あなたが好きなコーヒ―を淹れるために、お湯も沸かしましたし」
「暖かくしすぎて熱があるんじゃないか? どれどれ?」
男が私の顎を捉えると、自身のほうへ振り向かせながら額と額をくっつけてきた。
瞬間、メトロノームの一番下の速度のようにびっくりするくらい鼓動が早鐘を打つ。
未だに私が、男のことを意識しているのが悟られてしまったに違いない。
案の定、男は大声で笑った。
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