バニラ

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 冷凍庫を閉じ、ふたつ、アイスの蓋を開ける。ひとつはいつものわたしの席に。もうひとつはその向かいの彼の座っていた席に。 「早く食べないと溶けちゃうんだからね」  声にならない声で反発する。寂しかった。酷く悲しかった。独りになったことが、怖かった。受け入れることが弔いなのだとしてもそれをわたしは理解したくなかった。彼の大切にしていた、けれどずっと名前を覚えられないままでいたややこしい名前の観葉植物。それが今にも枯れそうに、遮光カーテンの中でこちらを伺っている。名前くらい、覚えてあげれば良かった。でも。 「大丈夫、とっておきを食べたら、大丈夫」  言い聞かせるように唱える言葉。勢いよく全力で開けた遮光カーテン。待っていたかのように、痛い程の陽の光が射し込んでくる。彼の見よう見まねでなんとなく霧吹きを使って観葉植物に水を与える。名前はあとでちゃんと調べよう。黄ばんだシーツは思い切って捨てちゃって、埃まみれの部屋には掃除機をかけて、出しっぱなしにしていたマグカップとシンクに溜まった洗い物も、やっつける。テキパキと。どこか涙声の混ざった鼻歌を歌いながら、なんてことないように家事を済ませていく。これからはこうして生きていくのだと、彼に宣言するみたいに。見ててねと、見せつけるように。  すっかり溶けた、手付かずのもうひとつのアイス。わたしの好きなバニラアイス。コンビニで一番高い、とっておきのやつ。付き合いだした頃からの、変わらないおまじない。  彼の座っていた椅子を引き、浅く腰かけて天井を眺めた。汗ばんだ首筋に吹く風が、季節すらも忘れかけていたわたしに、今がもう夏なのだと教えてくれる。タオルケットに包まれるような、どこか彼に似た優しい風に目を閉じ、今度は机に突っ伏した。  ちゃんとやる、一人で生きていくから。追いかけたりなんて、しないから。だけど、もう少しだけ泣いていてもいいかな。  そんな弱気な一言へと、肯定を運ぶ一際強い風が吹いてわたしを夢へといざなう。眠った先で待っていたのはいつもの乳白色、ではなくて。アヒルが喋ったり、エリンギと喧嘩をしたりする、なんかそんな、笑えてしまうくらいくだらない夢だった。 「夜、何食べようかな」  大きすぎる冷蔵庫の駆動音が、ブー、と鳴って、また生活が始まった。
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