バニラ

3/5
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 少しの余韻もなく、勢いよく閉じられた本の中の世界みたいに夢は覚めた。いつから洗えていないのか、黄ばんだシーツ。片方だけ形が綺麗なまま残された枕。机に置かれたままのマグカップ、ふたつ。新婚旅行で訪れた先で浮かれたままに作った不格好な、マグカップだ。もちろん刻まれているお互いのイニシャルだって知っていた、見覚えがあった。お互いに作り合ったそのマグカップの不格好さに笑い合い、焼き上がりを待っている間の夕方と夜の間に、蛍を見に行ったんだった。そこには川が静かに流れていて、辺りは暗く、小さく小さく蛍だけが光っていて、彼が歩けばそこだけがぼわっと光って、それが綺麗で。  とても暗い景色の中で光るそのオレンジと、幸せがゆえに流れた涙でぼやけた乳白色の景色が、日々のあの夢とリンクする。  三ヶ月前に亡くした夫。夢でずっと会っていたのは彼だった。喪失、だなんていう事実を忘れたくて、けれどわたしは彼の存在自体を忘れたいわけじゃなかった。忘れたいわけじゃないけれど、どうしたら良いのか分からず、ただふらりと後を追うつもりでほとんどの生活を放棄していた。だから、きっと彼はそれが心配で止めようとしてくれていた。夢の中で、わたしが彼を忘れずに済むようにと、ひとつひとつを教えてくれながら、なんとかわたしが立ち直れるように。  それでもなお受け入れきれない事実と部屋に漂う喪失感に涙が止まらない。涙で揺らぎ、乳白色に染まる部屋の中で、夢の中での彼の言葉を思い出した。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!