272人が本棚に入れています
本棚に追加
◇
ライブの進行は中盤を過ぎていた。
湊以外の四人のソロが終わり、全員で披露している今の曲が終わったら次がいよいよ湊のソロの番になる。
まだ何も起きていない。
このまま何事もなく終わってほしい。
大きな幸福感の中に包まれている小さな緊張感の手触りを味わいながら、私は湊が降りてくる装置のそばでスタンバイしていた。
そばには一緒に湊の着替えを手伝うスタッフが三人いる。今日ずっと一緒に動いてきた三人だ。顔と名前も覚えた。
本番が始まる前は雑談もしたけど、今は三人とも集中してモニター越しにステージを見守っている。
湊が最後の立ち位置へ移動する。もう彼は私たちの真上だ。
緊張が溢れ出しそうになったその時、腰のホルダーに固定していたスマホが振動した。
何かあった時のために電源を入れておくように松浦さんから言われていたのを思い出す。
何かあったのだろうか。重低音が肺のあたりに響いた。
「もしもし?」
ドキドキしながら電話に出ると、相手の切羽詰まった声がした。
『オレや!』
「松浦さん! どうしたんですか?」
相手は松浦さんだった。
『美来が、現れた!』
彼の叫ぶような声と、「湊さん来ます!」と私を呼ぶスタッフの声が重なった。
「えっ⁉︎ 美来さんが⁉︎」
思わずおうむ返ししながら振り返った時、背後からこっちに近づこうとしていたスタッフが一瞬立ち止まった。
見たことのない顔だった。背が高い。髪は帽子で隠れ、口には黒いマスクをしていた。
『七番ゲートと八番ゲートの間でスタッフが目撃した! そっちに向かったかもしれん!』
装置を取り囲むスタッフが、降りてくる湊を待ち受ける。黒いマスクのスタッフは手に何かを持っていた。私の横を通り過ぎようとする時、彼はそれを私の視界から消すように左手に持ち替えた。
『オレもすぐそっち行くから、気をつけろ!』
「は、はい」
通話が切れた。その直後、また私の電話が震えた。
「湊さん来ました!」
赤い衣装を身に纏った湊がスライド式の装置でゆっくり下降してくるのが見えた。
黒いマスクのスタッフが湊に近づいていく。
彼を止めなくちゃ。
本能的に、私はそう感じた。
最初のコメントを投稿しよう!