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『あんま湊とイチャついとると刺されるかもしらんで!』
以前、松浦さんが言っていたことを思い出す。
本当にこんなことになるなんて。松浦さんのせいじゃないけど、恨みたくなってしまう。
「お願いだ」
湊が必死な瞳で私を見つめた。
「なんでも君の言うことを聞くから、その子は放してあげて──」
「湊さん、ダメです!」
なんでも言うことを聞くなんて、それで本当に刺されたらどうするんだろう。
多分、湊はその後のことなんて考えていない。
私の無事だけを祈っている顔だ。それに気づいて、胸が苦しくなってしまう。
「……そんなにこの人が大切ですか」
黒マスクの人の声も濡れている。
「美来ちゃんはあなたのせいで死にたいって言ってます。それなのに、そんなにこの人が大切ですか」
「君は樋口さんのファンの人だね。樋口さんに頼まれて来たの?」
「違います。これは僕の意志です。僕の意志で、美来ちゃんの想いを伝えに来ました」
ステージの上に湊が現れないという異変に、観客はまだ気づいてない。だが、次の曲への期待が高まる歓声が時々聞こえてくる。
スタッフたちは舞台の進行が滞っていることとステージ下でのハプニングを受けて、誰もが不安そうな顔を浮かべている。
湊にも歓声が聞こえているはずだ。
それでも、彼の顔に雑念はなかった。全神経をマスクの男の言葉に向けて集中させているようだった。
「樋口さんの想い……?」
「分かっているでしょう。美来ちゃんは、あなたのことが好きでした。死ぬほど。あなたはそれが分かっていたくせに、美来ちゃんをどん底まで傷つけた。僕は、それが許せません」
「それは、申し訳ないと思う。でも──それでも君たちは間違っているよ」
「うるさい! これは美来ちゃんの選択なんだ! 間違っているとかいないとか、そんなのどうでもいいんです……!」
彼は湊の言うことを聞くつもりはなさそうだ。
彼を動かせるのは彼の女神である樋口美来さん、ただ一人。
彼女の言葉だけだろう。
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