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全面的に降伏するような湊の言葉で、私たちに再び緊張感が走った。
「あなたに一つだけ、お願いがあります」
「お願い?」
湊は不思議そうに聞き返した。
「美来ちゃんに、伝えてほしいことがあるんです」
「どうして君が伝えないの?」
「それは……僕からはもう伝えられなくなるからです」
私の頬に当てられていたナイフが離れ、彼の首筋に移動した。
「それに、僕から言われるよりあなたから言われた方が、美来ちゃんが喜ぶから」
「やめろ!」
湊の目が吊り上がった。刃が離れたから私は逃げ出そうとしたけど、彼の手はまだ私を拘束していた。
「大人しくしていてください。あと少しだけ。すぐ終わります」
私は振り返って、初めてその人の顔を見た。
まだ若い。私と同じくらいの年齢に見えた。
それに、とても悲しそうな目をしているのが印象的だった。
「あなたに会ったら美来ちゃんは死ぬつもりだって言っていました。だから僕は美来ちゃんの代わりにここに来ました。美来ちゃんを……死なせたくなかったから」
私たちは誰も動けなかった。言葉を挟むこともできなかった。
「僕は美来ちゃんを応援するのが生き甲斐でした。笑顔を見るだけで幸せだった。でも、僕にできることなんてそれだけです。応援するだけ。美来ちゃんに比べたら何の価値もない命です。だから、いなくなるなら僕の方がいい」
「違う」
湊がすぐに否定した。
「命は誰のものであろうと平等に重い。君も、樋口さんも、ここにいるみんなも──全部価値のある命だよ」
「そうでしょうか。僕と美来ちゃんが同じ価値のわけがありません」
彼の声には重みがあった。
「美来ちゃんは僕の命より大切な人です。こんなことしたって、喜ばれるどころかウザがられるだけかもしれない。役に立とうなんて思っていません。でも、美来ちゃんにどんなふうに思われようと──僕はあの子に生きていて欲しいんです」
彼の瞳から涙がこぼれた。
「美来ちゃんのことを愛してほしいなんて言いません。だけど、死なないでって言ってあげてくれませんか。それで美来ちゃんの気持ちが変わるかもしれないから。僕からの、一生のお願いです」
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