最終電車にご注意を

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 正義のヒーローなんてこの世にいない。  悪ばかりだとは限らないけど、優しくもないこの世界に、他人の善意を期待するのは馬鹿げている。  困っているなら自分がなんとかしなくちゃいけない。  誰かのせいにして困り事が解決できるならいくらでもそうするけど。  勇気を出して声を出さなきゃ。  下手すると、私も同意していると見做されてしまう。  おとなしいからって舐めんなよ! って、啖呵切らないと。   「可愛いね、君」  耳元でしわがれた声がした。お酒で喉が潰れているような、ざらざらした不快な声だ。  話しかけてきたよ……キッモ!! 「おとなしいね。怖がってるの? 大丈夫だよ、怖くないから」  誰がどの口で言ってんだ。こんなの怖いに決まってる。  もう限界、次の駅で降りる。  あ、でも終電……。  次で降りたら私、朝までその町から出られない。  タクシー使うには家が遠すぎて現実的じゃない。  もちろん、ホテルとか泊まる余裕ないもないからネットカフェとかカラオケとかで徹夜するしかないけど──。  そんなことしたら、明日の面接絶対落ちる。    どうしよう。  やっぱり、この人を捕まえるしか……。  勇気を出して振り向こうとすると、首がカクカクとした。ゼンマイ仕掛けのからくり人形みたいに関節が不自然に動く。喉の奥に舌が引っ込んでしまって、声が出ない。  ああ、最悪だ。緊張でうまく体が動かない。これじゃあこの人を捕まえられない。   「次の駅で降りて、続きをしようよ」  知らないおじさんに誘われている。ダメだ、次の駅で降りたらダメ。きっと最悪なことが待っている。  なんで私が、こんな目に。  チラリと横を見ると、楽しそうに着飾った若い女の子がいた。呑気にスマホをいじる彼女のバッグには男性アイドルのデフォルメ顔がプリントされたアクリル製キーホルダーが付いていた。  最悪な想像から意識を逸らしたくて、私はじっとそのキーホルダーを見ていた。    きっと、こいつのせい。  彼女が私に無関心なのは、こいつのせいに違いない。  自分一人で解決できない困り事が起きた時、私のように弱い人間はやっぱりその不幸を誰かのせいにするしかないのだと悟った。  駅に近づいてきたのか、電車が減速する。  地獄の入り口が開く。   「さあ行こうか」
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