ゲロムスの遺児

第一章 魔術師との邂逅

第一話　魔術を継いだ者達の地で　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　かつて氷雪の時代と呼ばれていた頃、人々は凍え、飢え、渇き、戦い、いつ尽きるか分からない命に怯え、奇跡を願っていた。
　ある時、天より神がペリーエングシャの地に降臨した。人と呼ぶには巨体で、歪な形をした光の巨人、『始まりの者』だ。
　ペリーエングシャの地の人々から奇跡を願う思いを見出した巨人は、彼らに奇跡の如き力を与えた——それこそが魔術であり、ここから『ゲロムスの魔術師』とその帝国『ダプナル帝国』の歴史が始まる。
　彼らは魔術で氷雪の大地を拓き、北方の戦の民や東方の賢者を始めとした脅威を退け、安寧を齎した。『魔術師の時代』と呼ばれ、栄華を極めていた時代である。
　しかし、いつしか彼らの栄華は斜陽を迎えた。『終わりの者』という魔獣が突如この世に生まれ落ちたのだ。賢者、戦の民を滅ぼし、帝国にも襲い掛かったそれを魔術師は退けるも、世界は混沌の時代に突入してしまった。
　半ば崩壊した帝国内での権力争い、治安の悪化による犯罪行為の横行、力無き人間の反逆——懐疑、暴力、欺瞞、戦などに包まれた時代の中、帝国は段々と滅びへと歩を進め、いつしか魔術師の帝国も、魔術師の時代も、そしてゲロムスの魔術師も消えてしまった。
　ただ、一つ残ったものがある。魔術師の遺骸と血潮が大地に染み込み、巡り巡って魔術師の力、即ち魔術が、微かではあるが力無き人のものとなった。
　魔術師の力を受け継ぎ、帝国を再建したかつての力無き人間達。彼らの時代は『ゲロムスの遺児』の時代と言えるだろう。

——新ダプナル帝国皇帝・ヘローク教団ネドラ派魔皇ヴィラス・ノルバット『魔術師の始まりと終わり、そして継承』より

　かつて実際にそうなったように、魔術という強大な力は世界をより良くするものだ。しかし、強大な力を利用する人達全てが善人では無い。殺人、拷問——そういった悪事に用いる者はやはり現れてしまう。
　魔術を行使する際に生成される不可視の粒子『魔粒』と、それを生成する器官である『魔腑』——ばらばらにされた魔腑がほんの少しずつ集まった一般人のものであれば、然程脅威にはならない。ただし、光り輝く右腕を持つ者は、ゲロムスの魔術師の『完全な魔腑』の所有者であり、それ故に脅威と見なされる。実際、完全な魔腑の持ち主による悪事は多い。
　それに対抗する為に、わたし達の属する『ファレオ』という組織が生まれたのだ。

　街全体に轟く爆発音が、この街の平和を乱す。一瞬のうちに悲鳴と地面を蹴る音が響き渡り、爆発によって燃え盛る酒場の周りから人がいなくなる。
　ゆっくりと炎の中から出てくる男。貧弱そうな見た目ながら、右手で屈強な店主の首を掴んでいる。店主は苦しさにのたうち回りつつ、涙を流して懇願する。
「ゆ、許してくれ……！　金ならやる……！　つ、妻もやる……！　だからどうか命だけは——」
　全てを言い切る前に、首を掴んだ手から爆発が生じ、血飛沫と肉片、そして店主の頭が飛び散っていった。爆発の衝撃で、男の服の袖の一部も飛び散り——その右腕は、やはり光り輝いていた。
「……あーあ、燃えちまったなぁ。早く金を取らねぇとな」
　そう独り言ちて歩いた瞬間、足元の異変に気付く。ぽちゃ、ぽちゃと、踏んだ石畳の道から音が鳴る。
　——水？　なんで水が——
　そう疑問を抱いた瞬間、男の脇腹を何か強い衝撃が襲ってきた。衝撃のままに吹き飛ばされ、石畳の道を跳ねるように転がっていく。
「クソッ、痛ぇ……誰だァッ！？」
　痛む体を押さえつつ魔術で癒し、衝撃を与えた相手のいるであろう方を見遣る。そこには巨槍を携えた男が立っていた。名を『ダス・ルーゲウス』——ファレオの団員の一人で、水の魔術の使い手だ。
「派手に暴れて、酒場壊して、人を殺して——これだから、魔術は嫌いなんだ」
「何だテメェ……くたばれッ！」
　男が手を突き出すのと同時に、ダスは水流を願って道の上に生み出し、その勢いに乗って移動する。彼の後を追うように、何も無い空間から爆発が生じる。
「ただ単に相手を爆発させたいだけ……単純だな。俺ならもっと上手い使い手を知ってるぜ？」
　直撃すれば即死しかねない爆発に然程危機感を覚えず、その上軽口を叩く彼の姿に、男は苛立ちを募らせる。
「ただの水如きに……！」
　男は尚も爆発を起こし続ける。しかしその攻撃は一向にダスに当たらない。ダスは水を生み続け、膝の辺りまで迫ってきている。
「こんなに水を出して……何がしたいんだよォッ！？」
「いいか、覚えておけ」
　苛立ちに満ちた男の言葉を受け、ダスはそれに答える。
「魔術の強さは魔術そのものだけで決まらない——発想力が、その強さを大きく左右する」
　ダスは右手を銃の形にして男に向け——その指先から、弓矢さながらの水が飛び出し、男の右腕を切断して飛ばした。
「があっ……！」
　右腕を吹き飛ばされた、言い換えるなら魔腑を失った男には、痛みを消す手段も右腕を再生させる手段も無くなった。そのまま倒れ、水浸しになった道の上で激しくのたうち回る。
「ミーリィ、取り押さえろ」
「了解ですっ！」
　ダスの後ろで控えていた女性——彼と同じくファレオに属する『ミーリィ・ホルム』は小走りで近付いてくる。すると、彼女の通った道の水が凍っていく。彼女は冷気の魔術の使い手なのだ。
　のたうち回る男の横をそのまま小走りで通り過ぎ、彼の周囲の水も凍らせ、拘束する。最早呻き声を上げることしかできなくなった男に近付いて顔に手を乗せ、魔術によって痛みを消す。とはいえ、寒さ故に男の呻き声は消えない。
「完全な魔腑を入手出来て調子に乗って、人殺しに建造物の破壊、おまけに強盗未遂——罪は重い。覚悟しろよ」
　燃え盛る酒場のから滝のように水を落として消火しつつダスは語る。その後男の身柄は運び屋に引き渡され、ファレオの本部へと送られた。
「これで一件落着ですね。いやー流石ダスさん。ここのところずっと一瞬で終わっちゃいますね」
　男が輸送される馬車を見送りつつ、ミーリィはダスに語りかける。
「最近は上手く扱えない素人ばかりだからな。楽で助かる。帰って飯にするぞ」
「あ！　今日のご飯何ですか！？　久しぶりにとびっきり豪華で美味しいものが食べたいです！」
「汁に干し肉を入れた奴」
　いつも通りの質素な食事に、ミーリィは思わずため息をつく。黄昏の空の下、二人は宿への帰路についた。