二章 澄清

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二章 澄清

 タイムリミットまで残り三日となった今日は月に一度の晴矢さんの調査訪問日となっている。 「お久しぶりです千晴さん」 「晴矢さん……お疲れ様です」  崩れることのない敬語とは裏腹に顔を合わせれば手を振るほど距離は縮まっている。 「今日で僕がこの街にくるのも最後になりそうですね」 「そんなことまだわからないじゃないですか。私はまだ諦めていませんよ」  調査といってもこの街の中心部にある気象観測台に、その月の天候の記録を書き写すという簡素なもので晴さんの用事自体は数分で済んでしまう。残りの数時間はこうして観測台の近くのベンチに座って話をする。 「晴矢さんにとってこの一年間はどうでしたか?」 「どうって……?」 「ほとんど希望もないような街の調査を毎月するってどういう気持ちなのか気になったので」 「僕は……少しだけ期待していましたよ」  予想外の回答に息を呑む。 「期待……?」  『もしかしたら』ってずっと観測台の数値をみる前に願いながら調査に望んできました」  最初会った時の口調の冷淡さから、そのような想いを抱いているとは予想もしていなかった。 「そうだったんですね」 「意外ですか……?」 「なんの縁もない街に仕事で来ているだけなのに情が生まれるものなんだなって……少し意外でした」  ただ抱かれていた想いに素直に『嬉しい』と口にできればいいものの、感情が邪魔をして捻くれた伝え方になってしまった。 「縁もない……ですか」  意味深な言い方に疑問を抱く。 「きっと今日が最後ですし少しだけ僕の話をしましょう。千晴さんお時間大丈夫ですか?」 「大丈夫です。聞かせてください」  覚悟を決めるようにネクタイを整い、息を吸う。その緊張ぶりから私の手にも力が入った。 「本当は、僕もこの街の住人になるはずだったんですよね」 「えっ……?」 「この街の誰かに尋ねてみてください。三十年前この街を出て行った若い女性のことを」 「それって……」 「……ご存知ですか?」  以前おばさんから聴いた事のある話と繋がる。三十年前、突然この街を去った若く可愛らしい女性の話。確か名前は…… 「美晴さん……?」 「……どうしてその名前を」 「前におばさんから話を聴いたことがあって」 「その女性は僕の母なんです」 「晴矢さんのお母様……?」  以前聴いた話では病気で手術をするために都会に移住したと聴いていたけれど、晴矢さんの話を聴くと少し聴いていた話とは違うような気がした。 「母は僕が生まれる前にこの街を去りました」 「……はい」 「母は、ずっと当時の決断を悔やんでいたんです」 「それは……どうしてですか?」  話によると晴矢さんの母親である美晴さんは私と同じようにこの街で生まれ育ち、暖かく愛されていた。美晴さんが幼い頃に両親が亡くなっていたこともあり、その愛はより深いものだったのだそう。 そんな美晴さんは十八歳の時にお付き合いしていた男性と内密に入籍したらしく遠距離での新婚生活を送っていたのらしい。 「旦那さんが街での生活を強く拒んだ……?」 「それが僕の父親にあたる人となります」 「そこから先はどうなったんですか……?」  遠距離での新婚生活に対してお互いに限界を感じ、美晴さんは街を出ることを決断したとのこと。美晴さんが晴さんを授かったことがその決断を後押ししたらしい。『手術のため』という口実はその後出産で入院を要するという少しの本当と、情報に疎い街の状況も含め、最適なものだったのだと言う。 「ただ母は『街に嘘をついてしまった』と僕を産んですぐに家を出て行ってしまったんです」 「それは……」 「その時は父が警察の方に協力をいただいてすぐに解決したんですけど、それをきっかけに両親の関係は崩れていってしまって」 「今、お母様とお父様は……」 「母は数年前に他界しています。もともと子供を授かる自体が奇跡だと言われるほど病弱だったので長く生きてくれた方だと僕自身は思っています」 「そうだったんですね……」 「父は……見ていただいた方がはやそうですね」  差し出されたパンフレットには『日野森 潤』と言う名前の隣に難しそうな文字が羅列されていた。 「世界環境整備委員会委員長……?」 「父は今、僕が所属している組織の代表を務めているんです」  深い意味まではわからなかったけれど、複雑な関係であることは理解できる。 「そこで父はこの街を無くす計画を練っているんです。この一年の話は、その計画を実現させるための最終手段ということになりますね」 「そんなこと……どうして」 「母との関係を崩したのは、この街だと思い込んでいるんです」  あまりの衝撃に眩暈がする。 「それを止めるための最後の足掻きに僕は来たんです」 「晴矢さんが……?」 「一番最初会った時『見放さないで』と千晴さんが言ってくれた時に覚悟が決まりました」  私が思っていた以上に晴矢さんはこの街を愛していて、美晴さんはこの街に愛されてきた。 「最期に母から言われたんです」 「お母様から?」 「『この街に愛された分、この街を愛しなさい』と」  私が母から言われた言葉と重なる。 「晴矢さん」 「……はい」 「今から街のみんなにその話をしに行きませんか?」 「え……?」 「きっとみんな知りたがっていると思うんです美晴さんのこと。晴矢さんのことも知りたいって思っているんじゃないですかね」 ー*ー*ー*ー*ー 「おばさん『美晴さん』のこと覚えてる?」 「美晴……懐かしい名前ね。今、ちゃんと幸せでいるかしらね」 「美晴は僕の母なんです」  その場にいた全員の動きが一瞬にして止まった。 「貴方が……?」  無言で頷く晴矢さんの迷いのなさに全員の思考が止まった。少しして私に話したことをもう一度噛み砕き説明する。その話に最初に目を潤ませたのは母だった。 「美晴……」 「……お母さん?」 「美晴は私にとって唯一の友達だったの。歳は離れていたけど妹のように可愛がっていた大切な存在なの」 「生前よく母から話を聴いていました。もう一度会いたいと命が尽きる最期まで願っていました」 「『千晴』の名前は『美晴』から受け継がれたっていうのも大きいかしらね」 「どういうこと……?」 「美晴が街を去った日は、千年に一度と言われるほど濁りのない澄んだ快晴の日だったのよ」 「それって……」 「前にも話したかしらね。千晴が生まれた日、千年に一度の奇跡的がもう一度起きた日なのよ」 「だから……」 「こんな奇跡はないと思って街のみんなで話したの。それに千晴も美晴のように街全員で愛して育てていきましょうっていう誓いを込めて名付けたのよ」  隣に立つ晴矢さんの目から涙が溢れている。差し出せるものもなくただ見つめるだけだったけれど、何も言葉が出なくなるほど私自身の感情も飽和していた。 「あと二日……」  晴矢さんの震えた声が響く。 「どうか奇跡が起きますように……」  これほどまでに澄んだ愛に包まれている空間を私は知らない。そんな暖かさが裏切られずに叶いますように、根拠のない希望に縋りながら私は信じ続ける。
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