前編

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前編

「あ~、この菓子うめー…」 皆さんこんにちは。ユウリンだ。俺は今、3時のお茶だと運ばれてきた、見た事もない舶来の珍しい菓子を行儀悪く手掴みで齧っている。 ある程度味わってから、良い香りの茶で流し込む。最高だ。どこの国の菓子だ、これは。最初のサクサク食感と、咀嚼してからの口溶けの良さ。色と甘さが驚異的だが、俺は世紀の甘党なので問題無い。寧ろこの毒々しいまでのピンクの砂糖菓子、ストック欲しい。日持ちしそうだから後で厨房担当の侍女に頼んでみようか。 おやつの時間が終わると、俺はさっきまで読んでいた本を開いた。しおりを挟むのを忘れていて、どこまで読んだか思い出しながら辿る。 日がな一日、のんびり過ごす毎日。口うるさい両親や親戚共の目も無く、誰に気兼ねする事もない。部屋も広く綺麗で、しかも自分で掃除する必要も無い。建物内には他の住人も居て、忙しく働いている人々も居る筈なのに、どういう訳かとーっても静か。たまに自室から出ると、出会うのは綺麗な女性や男性ばかりで、目の保養だ。挨拶程度しか言葉を交わす事は無いんだが。 何より、ここに来る前には伏魔殿的なイメージを持っていたのに、思いの外穏やかなところだったというのは嬉しい誤算だった。ただまあ、一度入ると外出はなかなか難しいんだけどな。でも、それは承知の上で来たから文句は無い。 ここまで言うと、俺が居る場所が気になってきた人も少なくないと思う。 何を隠そう、此処は皇帝の後宮。俺は皇帝の側室として入内したオメガなのである。 後宮や側室なんていうと、昔は政略結婚とか政治的要素が絡み、側室同士が水面下で争ったりとややこしかったらしいが、時代の流れなのか皇室事情なのか、今ではそんな血なまぐさい事は少ないようだ。実際のところはよくわからないが、少なくとも俺達みたいな新米ペーペーに権力争いなんかは関係無いという事は確かだ。特に俺の実家はごく普通の平民だし、政治介入を考えるような家でもない。 なのにそんなごく普通の家庭出身の俺が、何故に後宮で側室なんかやっているのかと言うと…。 それは、3ヶ月前まで遡る。 そろそろ婚約するか、なんて話も出ていた稀代のアホ彼氏・エリアスが、俺との逢瀬をブッチして女と腕組んで歩いてた。 今まで3度の浮気が発覚して(本当はもっと多いかも?)、4度目は許さないと常々言ってたから、予告してた通りふん捕まえて鳩尾に一発入れて蹴り倒した。女は横で悲鳴をあげて、アホを抱き起こしてたが、俺はエリアスを冷たく見下ろして言った。 「じゃあ、俺達はここまでって事で」 「え…ユウリン…?」 「元気でな」 「ちょ…ちょっと待っ…」 エリアスはすぐに踵を返して歩き出した俺を追おうとしたようだった。が、俺にやられた鳩尾と脚のダメージが思ったよりデカかったのか、立ち上がれなかったようで追ってくる足音は聞こえない。先に機動力を潰しておいて良かったと内心で自分の判断力を褒めた。 既に3度の浮気発覚時に散々泣いてきて、回数を重ねる度に激減していった愛情バロメーター。さっき4度目を見た時には、僅かに残っていた何かもきれいさっぱり消え去って、悔しいとか悲しいなんて感情すらも湧いてこなかった事に我ながら驚いたが、まあ…人間だもの。そんな事もあるある。 ともあれ、悪縁が切れて良かったなあ、なんて清々しい気分で、俺はさっさと家に帰ったのだった。 しかし、問題はそれからだった。 公衆の面前でスパッと捨てた筈の元彼・エリアスが、まるで人が変わったように俺に粘着し始めたのだ。 思えば付き合っていた頃、エリアスはあまり俺に優しくしてくれた事はなかった。それは多分、先に惚れて告白したのが俺だったからってのがあったんだと思う。エリアスは、俺と付き合ってるのはお情けだとよく言っていた。だから俺はどんな事を言っても、どんな扱いをしても離れていかないなんて考えていたんだろう。実際、エリアスのその考えは当たっていて、俺は付き合ってからされた浮気も、ろくに責める事もできずに許してしまった。というか、許すしかなかった。 エリアスが好きだったから。 冷たくされても、暴言を投げつけられても、夜中にいきなり呼び出されても、俺じゃない人間と体を繋いでいるのを察しても、エリアスと別れるなんて選択肢はなかった。 ひどい男だと身に染みても、どうしても。 今にして思えば、多分あの時の俺はラリってた。 俺はオメガで、エリアスはベータ。 そう。エリアスは見目が良くモテるが、バース性はベータなのだ。 そんな彼をどれだけ好きでも番にはなれないし、俺がヒート持ちのオメガである以上、婚約したって結婚したって何時かは別れなければならないかもしれない。どれだけ好きでも未来なんか無いかも…なんて悲恋を気取って一人で酔ってた。 馬鹿かな?いや馬鹿だな。紛うことなき馬鹿だ。(大事な事なので3回言いました) ま、我ながら目が覚めて何よりだ。 すりガラス並みに曇り切っていた俺の目が覚めたのはめでたかったのだが、俺が冷めるのと入れ替わりに今度はエリアスの熱が上がってきた。時間差にも程がある。 別れたというのに、その直後から携帯電話にバンバン入る謝罪と復縁要請のメッセージ。 冷める前なら死ぬほど嬉しかったんだろうが、愛情バロメーターが振り切れて既に無関心になってしまってからでは、気持ち悪いという感情しか持てなかった。 というか、それまでの塩対応とは一気に別人過ぎて引いた。 俺が泣き言を読むのに飽きてそれらをブロックすると、今度は付き纏いが始まった。気がつけば常に近くに居る。真夜中でも家の前に居る。 お前、仕事や睡眠はどうしたと言いたくなるくらいに常に居る。 見る度に顔つきがおかしくなっていくので、俺の危機感はマックスに。警察も家の近所をパトロール強化してくれたが、エリアスはそれを巧みに掻い潜り、家の前に花束やプレゼントを置いたりした。 その募集が目に止まったのは、その状況が1ヶ月半くらい続いて、自分のバイトに行く事すら困難になってきた辺りの頃だ。 『若干名募集。条件は容姿端麗のみ。女性、男女オメガの方、大歓迎。 綺麗で広い住居、即入居可。3食昼寝付き。最新流行の衣類、無償提供。就業している間は全て無料です!!きついノルマありませんが、破格の固定給あり。がんばり次第で歩合にも!! お気軽に下記担当者ナンバーまでお問い合わせ下さい。』 「……?職種は?」 スマホの求人サイトに載っていた見るからに怪しい募集だったが、即入居可の住居らしい施設の内部を撮影した動画と画像に俺は釘付けになった。 「すっげ…なにこの設備。セレブタワマンかよ」 かくして俺はお気軽に、記載されていた電話番号をクリックしたのだった。
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