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一、纏座の興行
「さあさ、寄ってらっしゃい観てらっしゃい。話題の新作活劇、『酔いどれ侍』が封切りだよ。古都監督最新作、どこよりも早い上映だ。弁士は我らが青垣光星! 七色の声が活動に華やかに色を添える。合わせて上映するのは安定の東堂良華による『椿姫』。早くしないと立ち見もなくなるよ!」
活動写真興行取締規則により呼び込みが禁止され数ヶ月。それでも活動写真館は隙を見て戸口より声を掛けている。看板も以前ほどの大きさのものが飾れない規則になった以上、黙っていては他にいくつもある活動写真館に負けてしまう。
横濱には常設の活動写真館が多い。芝居小屋から進化した興行施設は、芝居と活動の両方を扱っている興行施設も多いが、中心は今や活動写真だ。
動く写真に人々は魅せられ、映画館は乱立状態だった。
外国人居留地のある開港場から吉田橋を通り、庶民の盛り場である関外へ向かうと、伊勢佐木町一丁目には多様な商品を一同に扱う勧工場があり、娯楽施設や飲食店と共にいくつもの劇場が並ぶ。
「あら、晋さん。はーい、お一人分ですね」
小さな花柄の着物でくるりと翻り、少女は常連客に愛想良く応じた。纏座の住み込み従業員をしているサヨは、客の名前や顔を覚えることが得意だった。見目の良さや愛嬌に加え、器量の良さでも人を惹き付けている。
前髪と側面の髪を大きく膨らませて結ったひさし髪に、小さな鈴のついた簪を挿し、軽やかな仕草と共にチリンと鳴らす様子は、上背のある身体を小さく愛らしく見せた。
サヨは女性にしては背が高い。齢十六ですでにその辺の男性と並ぶ体格をしている。
「あん? ……お、いねぇ。さっきまで県外から来たっつー兄ちゃんも一緒だったんだよ。活動が観たいと言うから案内したんだが」
「はぐれちゃったのかしら? 今日は通りも賑わってますし」
戸口の横に戻り、小さな窓から札を一枚差し出す。窓からサヨの手の中に見える残り札はすでに半分ほどで、晋と呼ばれた客は慌てて札を受け取った。
「いい大人だし、自分でなんとかすんだろ。ありがと、サヨちゃん」
「楽しんでってくださいね!」
改札係担当の女給へと駆けていく晋を一瞬だけ見送り、サヨはすぐに次の客へと向き直った。
次の客も、サヨが笑いかけるとへらりと口元を緩くする。また一枚札を渡し、サヨはまた戸口に立った。
「まだ男女共にお席ありますよー! あと数席で立ち見になりまぁす!」
活動写真興行取締規則により禁止されたのは、呼び込みや看板だけではない。
興行の時間や休憩の規定、弁士の免許制、それから客席の男女区別。男女の席を分け、夫婦や家族については同伴席へ案内しなければならなくなっていた。
ほんの僅かな時間男女が並ぶことで、何があると言うのだろう。活動写真興行取締規則の条項が出たときそう憤るサヨへ、兄の環は言った。
――幕が照らされていようと、客席は暗い。元より、人の視線が一箇所へ集まる場に於いて男女の区別なく並んでいては、誰の目にも届かない瞬間がある。それを律することで救われる女性もいるだろう。
環はいつでも冷静で、客観的に物事を見つめている。そして、柔軟さは持ちつつも曲がったことが嫌いだった。「後ろ暗いことは少ない方が、お天道様の通りもいい」と環はよく言っている。そんな兄を、サヨは心から尊敬している。
館長代理として働く環は、今日初めて上映する活動写真の打ち合わせのため、朝から忙しく動き回っていた。いつもなら入り口での出迎えは環の役目だけれど、代わりサヨが立ち、札売係も一緒に行っている。ある程度札売りが落ち着けば、札売係は改札係を担っている女給に任せ、館内の売り子をする予定だった。
「嬢ちゃん、俺にも!」
窓口の前から手を振る客に、サヨは瞬時に笑顔を向ける。
「はーい、ただいま!」
いつでも笑顔でいることができ、客の笑顔を見られるこの仕事が、サヨは誇りに思っている。
まだまだ女性の社会進出がままならない中で、先代や現館長の意向により、纏座は女給にとって働きやすい環境だった。
「サヨ」
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